『音もしなかったし』、と思うと、私はやはり廊下に祖母を見たのは見間違いだったのだと思う。しかも、『人間、顔だけ宙に浮いている訳がない。それは当たり前の事だ。』、常識で考えてもそれはそうだ、そこで私はここで頷いた。 こうやって、私は廊下での祖母の不在を合点した。そうして祖母は外にいるのだから、それが当たり前だと、先程祖母が裏口から外出した事を思い出していた。
私は視線を上げて遥か先の裏に目をやってみる。そんな私の目に遠く小さく、勝手口が明るく白く四角い口を開けているのが見えた。何時になるのだろうか?。昼時は過ぎたのではないか?、と感じた私は、廊下の入り口の柱、その頭上に有る振り子時計の文字盤を見上げた。勿論、私には未だこの時計はおろか、どの時計の文字盤も読めなかった。
さて、私は静かに居間の元いた位置に戻って来た。そうして大きく広く自分の頭上に口を開け開いている吹き抜けの天井を見上げた。冬にはこの部屋の中央に掘り炬燵が据えられているが、今はその炬燵用の小さな囲炉裏には、それに見合う小さな畳が上から嵌め込まれているだけだ。囲炉裏に焼べられる炭を入れた炭箱も、囲炉裏の中に有る炭が燃え尽きた白い灰も、その上を覆う金網もこの部屋からは既に姿を消していた。居間は日常の畳だけの部屋となっていた。素足でこの畳の上に立つ私の足元は涼やかで、季節の移ろい、夏の扉の開く時候を告げていた。
私は少々古びた畳を確りと足裏に感じると、それを踏みしめて1人居間に立った。屋根裏に張り巡らされた木材を今一度見上げてみる。と、思わずあんと私の口が大きく開いた。苦笑いした私は、口に手を当て自分の頭を戻した。それから、自分の周囲に注意して意識を巡らせてみる。この時私は自分の頭の中心がシンとして冴え渡っているのに気付いた。自分の感覚が研ぎ澄まされていると感じた。私は自分が幼さを少し過ぎて少しは大人になったぞ、と感じた。そうして、そんな自分の成長が心底嬉しくなった。思わずうふふと、私は満足の笑みを漏らした。
「ほらな、おかしいだろう。」
そんな私の父の声が障子の向こうから私に伝わって来た。ぽそぽそと、小さく話し声がしているのも分かった。「でも、」と、先程の従兄弟の声もした。私は確かにそれ等をこの居間で聞き取る事が出来た。