甥にしてみると、伯母の「あなたも安心」という言葉に、何が安心なのだろうかと合点がいかない旨も有った。が、庭に残った従姉の方も大丈夫だと言っていたので、多分その事だろうと彼は考え合わせた。
さて彼が屋内に入ると、彼の頭にはあれやこれやと思案する事柄が浮かんで来た。そんな浮かない顔をした彼が、この家のトイレの前を過ぎもう台所に差し掛かかろうという段になると、先に立って奥へ進んでいる筈の伯母が不意に彼の目の前へ引き返して来た。伯母は彼に一寸厠へと言い残すと目にも止まらぬ様な速さで彼の横を過ぎ去った。そこで彼は歩を止め、頼みにする伯母である彼女をええ⁉︎とばかりに振り返った。思わずその背を見遣る。すると実際、彼女の後ろ姿は彼のすぐ後方に有ったこの家の女子トイレの木戸の取っ手に手を掛けた。彼女はその儘その戸を逡巡と開き始めた。そこで彼は反射的に彼女の背から顔を背け、彼の顔を元の方向へと戻した。彼はこれ以上見ているのは伯母である彼女に失礼だと感じたのだ。
暫しその儘で彼は廊下に佇んでいた。が、ふいと思い返すと、彼は再び自分の進路をこの家の玄関のある方向へと向けた。元通り台所の床を踏みしめる様に歩み始めた彼の顔は、最初元気に溌剌としていたが、やはり直ぐに元の通りの物思いに駆られた浮かぬ顔に戻って行った。彼は、「上手く行ったかしら。」と、ついぼんやりとして独り言が口を衝いて出てしまうのだった。
彼には、自分の家から先に発って、この家に来ている筈の兄弟の首尾が気に掛かっていた。そんな思案に暮れた彼が節目がちに流し台の所迄来ると、そこには先に進んでいた彼の従姉が待っていた。姉妹の妹の方の女の子、彼女が静かに自分を見て佇んでいるのに彼は気付いた。ハッとした彼は思わず頬を赤らめ、取り繕う様に彼女に笑顔を作った。
彼が見るに、どうやら彼女はその先を進む事を躊躇している様だ。それは彼女の母である彼の伯母が、先程所用で戻ったからに相違ないだろう。従姉はここで、再び彼女の母が自分の元へ帰って来るのを待っているのだ。彼女は姉妹の下の子だ、たった1人では、当然母親無しでは、この先へ1人で行くのが不安なのだろう。彼女は1人でこの家を進んで行く勇気が無いのだ。彼はそう思った。
「お先にどうぞ。」
彼が従姉に近付くと、彼女はそう彼女の
従弟に言った。そこで彼は言われる儘にうんと頷いた。が、一旦頷いてはみたものの、彼は家内の様子、この場から先のこの家の取り込んだ事情、今現在のその様子が気になった。慎重になった彼は耳だけに神経を集中させると、その場に止まった儘で半分上の空で彼女に応対し始めた。
彼はそれとなく家の奥を窺ってみる。すると居間と、彼等の祖父母が寝所にしている座敷に、如何やら人の気配があった。その2ヵ所の部屋辺りで話し声がする。更に耳を澄ませてよく聞くと、彼の祖母、叔父の声がしている。祖母の声は居間だ。叔父は座敷だなと彼は判断した。そうする内に、彼は話し声の中に自分の兄弟の幼い声が混じっているのを聞き付けた。兄弟は叔父の方と話をしている。するとあれは座敷らしいな。彼は自分の兄弟の所在を推理した。
しかし彼はここで、敢えて自分の興味の赴くに任せて猪突猛進、直ぐに対象に向かうという事をしなかった。彼は彼の傍にいた従姉に愛想の良い笑顔を向けた。彼は一応一言彼女に声を掛けた。「そちらこそお先にどうぞ。」と。