いざ、進まん!。奮起した彼は、やおら流しの角から這い出した。身を低くして果敢に先を窺う。この家の座敷や居間、何方の部屋からも話し声は未だ聞こえている様だ。
家の奥へと進んだ彼は何時しか匍匐前進となっていた。そんな自分達の従弟の、台所の床をずりずりと這いながら進む背中を、流しの所に残った姉妹はさも呆れた様子で眺めていた。
その内姉の方が言った。
「あんたも、人が悪いなぁ。」
あの子に未だ言ってなかったの、あの子が生きてるって事を。そう彼女が言うと、妹は姉に向かってぺろりと舌を出した。彼女はくりくりした瞳を悪戯っぽく輝かせて姉に言った。「だって、あの子の真剣な顔付き、面白いんだもん。」
「本当に自分の兄弟が養子になれると思ってるのかしら、」
この家のよ。と、姉は嘆息しながら誰に言うともなく、妹に言った。「あんなに真剣になって、あの子に約束を取り付けるまで帰って来るなって言ったんやろ。」と、妹が応えれば、「まぁ、あなた聞いてたの。」と、姉は意外そうな声を出した。私とお母さんがあの子と話をしている間、あなたは全然知らん顔してたじゃ無いの、と言うと、姉は驚きを隠せない顔で、彼女の妹を不思議そうに見遣った。
少し前の事、彼女達の母で有るこの家の長男の嫁は、この夫の実家で舅夫妻と同居している義弟、その義弟の子供の不幸を、やはり彼女同様この家とは違う場所に住まいの有る義理の弟、その義弟の妻である義妹からの急を知らせる電話で知った。
それからの彼女は取る物も取り敢ず、急ぎ彼女の娘達の学校へと走ると、彼女は忙しなく自分の子等の忌引きの手続きを済ませた。そうして彼女は其の儘の足で、急遽この家へと娘達共々に馳せ参じたのである。すると、この家の玄関先で1人うろうろと行きつ戻りつしている子供に目が止まった。それは、彼女に電話連絡して来た義妹の子供等の内の、歳の下の方の子であった。その子の様子を不審に思った彼女が、自分の長女と共にその子にこんな所で如何したのかと問い掛けてみる。と、子はべそ等掻いていたが、漸く彼女達に答えた。
「兄から、お前はこの家では厄介者だ、早くにこの家から出る算段をしろと言われたんです。」
と言うのだ。そこで彼女達がよくよくその子に仔細を問い質してみると、その子の兄は、この家で不幸となった子の代わりに、その子の父である彼等の叔父の、つまり彼女の義弟の、養子にお前は成れ、と、その子にそう言ったと言うのである。
「何難しく無い。」
続けて兄は言ったと言う。かつて叔父は結婚しても子が無くて、長男である自分でさえも、彼の養子に成れと言われていたのだ。叔父に子が出来てからはその話も出なくなったが、叔父に子が無くなった今、また叔父には養子が必要な筈だ。だから、こちらから養子の話を持ち掛ければ、叔父は喜んで、快くこの話を承諾してくれる筈だ。
さてここで、兄弟の年若の子が、そう上手く行くだろうかと案じると、兄は「お前は下の子だ。」と言ったのだという。
「叔父も父の兄弟では下の子、外に出なければいけない下の子の悲哀はよく分かっている。」
「共に下の子同士のお前が、こうこうと叔父に訴えれば、叔父も人の子、お前の事を哀れに思わ無い訳が無い。」
うん、きっと直ぐにでもお前を養子にしてくれるさ。そう言うと子の兄は、噛んで含めるように彼等の叔父と子のするだろう問答を兄弟に教え、最後にはこう言ったそうだ。
「念の為、叔父から必ずお前の養子の約束を取れ。」
叔父がお前と確約するまで家に帰ってはならん。兄はそう言ったそうだ。子は自分の伯母や従姉である彼女等に、こう説明したのであった。