「世間は何と申しましょう。」
彼女の言葉には、義理の父の考えに相反するという重い響きが有った。それでは済みませんでしょうに、彼女は続けた。黙した彼女に、舅はほうっと息を吐くと語り出した。
「お前さん、私の考えに背く気なのかい。」
いけない了見だね、嫁の分際で、舅で有るこの私に楯突くとは、如何いう了見なんだい。舅は怖い顔で、その声にも嫁で有る彼女を脅す様な凄みが込められていた。一瞬その舅の変貌に驚愕した彼女だったが、直ぐにまぁと彼女は思った。世の変化、商品の流行にも機敏に対応する進歩的な舅だったのに、幾ら明治の生まれだからといっても、今の如何にも封建的な物言いは何だろう。『もう、古めかしい。』、彼女は思ったのだ。心の内にふんと言う思いが湧き、彼女の顔に舅に対する侮蔑の感情が覗いた。
「ほらね、時代遅れだと思っただろう。」
何時もの顔で、舅は如何にもと言う様に義理の娘に言葉を掛けた。
「現代だよ。明治でも大正でも無い。大正も一時良かったが、それより更に良い時代、昭和の現代なんだ。古い考えはお止め。今時、今からは流行らないよ。」
商品と同じだ、古い物は廃れ新しい物が台頭するんだ。お前さん達も新しい波に乗りなさい。あの子の事は私達親に任せておけば良い。舅は切々と嫁を諭した。彼の真心が伝わって来て、嫁は思わず俯いた。目頭が熱くなって来る。
でも、でもと、彼女は口の中で言葉をこもらせた。この場で舅に言うべき良い言葉が彼女には浮かんで来ないのだ。
「お義母さんは、」
漸く彼女の口にこの言葉が浮かんだ。『そうだ、お義母さんは何と言うだろうか。』そう閃いた彼女は、即座にこの方向で舅の一方的な考えを打破しようと決定した。
「何と思われるでしょうか。」
きっと良くは思われないと思います。彼女は舅にこう切り出した。
良妻賢母、内助の功、銃後の母、妻、が日頃の口癖のお義母さんの事ですもの、お義父さんの言う通りにそんな事をしたら、子で有る夫は兎も角に、私の方は如何思われます事やら。そう言って舅に打診してみる。そんな彼女の内心は実は揺れていた。
何故お義父さんの言う事を素直に聞かないの?、いい話なのに。心の中で自分にそう問い掛ける自分がいた。
「でもそうしたら、確実に世間の人からの批判の矢面に立たされるわ。」
そう答える良識的な自分も存在していた。彼女はこの様に内面で様々に葛藤していた。お陰でその表情には様々な思いが浮かび、煩悶する苦しげな物となった。彼女と舅、傍で2人の成り行きを見守る彼女の娘達も、皆沈黙した儘だ。食堂内はシンとして物音一つし無くなった。
「押されてやすぜ。」
この店の店主の声さえ、この場に置いては他人事の様に空虚その物だ。