彼女の舅はやや意外そうな顔をした。その後いかにも呆れたという様な大袈裟な素振りで、ええっと驚いた。
「お前さん、未だ分からないのかい⁉︎。」
呆れたね。お前さん程の聡い女が。「否、ご婦人が。」と彼はすぐに言い直した。言い直した彼は、その後逡巡した様子になりその顔から元気を失くした。嫁である彼女は怪訝そうにそんな舅の顔を見詰めた。彼はそんな嫁に言い淀んでいたが、やがて、
「いや、今時女呼ぼわりすると受けが悪くてね。」
と言った。それから彼は、嫁に打ち明け話をする様に小声で漏らした。
「その、じ…、女性客にね、煩い人もいるものだから。」
ポツポツねと、そんな話を始めた舅は顔を曇らせ元気が無い様子になった。
「私も歳だ、段々と変わる世に合わせ辛くなってきたよ。」
そう彼は寂しそうに微笑むと嫁に言った。本当に、戦後じ、…女性と靴下は強くなったよ。と慣れぬ言葉を口にする事に戸惑いながら、真顔で訴える彼に義理の娘で有る彼女は溜息を吐いた。
「はー、お義父さん。ストッキングでしょう。」
すると舅は今迄元気無く屈めていた背を、ハッとばかりに勢いよく、まるでバネが弾ける様に素早く起こしてみせた。やっぱりそっちの言い方だねと、ストッキングで合っているんだよねと、思わず真顔で口にした彼は、またもやハッとした顔で素早く彼の口に自分の手を遣った。それから彼は自らの背後が気になる様子でびくつき始めた。彼はおどおどした感じで焦点の定まらない顔をすると、嫁に「その言葉で合っているね。」と細々とした声で念押しした。
「そうよ、お祖父ちゃん。」
その場に同席していた、彼の孫姉妹の内の姉の方が、如何にもと確りした声で彼に答えた。
「ストッキングよ!。皆そう言ってるわ。」
彼女が呆れたと言う様に、靴下だなんて、聞いた事ないわと言うと、彼女の母の方は急に思案顔になり、そう言い放った自分の娘に一瞥をくれた。
まぁ、と彼女は俯き加減で更に思案しながら、そうも言うのよ。と曖昧に口にした。そうして、「そんなふうに言う人もいたわ。それも聞いた事があるの、お母さんは。」と呟いた。それから彼女はテーブルを挟んで自分の前の椅子に座る舅に彼女の目を遣りハッとした。彼は落ち着かない様子で彼の背後の食堂の入口や、また自分の周囲、この今自分が居る食堂の内部に迄彼の注意を配っている様子だ。彼女はそんな舅の様子に気付くと少々鼻白んだ感じになった。
「お父さん、戦後です。」
彼女は眉に皺を寄せると言った。もう何年経ちました?。平和になって久しいです。もう憲兵なんて来やしませんよ。もうと、彼女は自分の舅に呆れて不服を唱えた。
「来ようと思っても、もうそんな人達何処にもいませんよ。」
来てもらいたくっても来やしません。彼女は少々首を振り、顎を出した感じになると自分の舅に不満気な視線を送った。彼女は思った。『もう、お義父さんたら、得意の焦らし作戦なんだから。』、敵性語が出た所で気付くべきだったと、彼女は舅の目の奥に在る悪戯っぽい光を認めながら、彼の事を苦々しくも愉快にも思った。