Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

赤い服 13

2021-08-26 15:44:53 | 日記

 ハハハハハ、と、以下その結果です。

 さて、私同様に考えた人は、まぁこの場合女生徒のみの様ですが、赤い衣類の生徒が目立ったという事で、或る先生から苦言お小言がありました。その先生の授業中です。特に私にという訳ではありませんよ。こんな時とばかりに、女生徒がやたらとめかし込んで来ていた、如何なっているのだ、普段清廉としている女生徒が見苦しい。という様なお言葉だったでしょうか。詰まり、その先生の目には私も含めて(多分)、女子生徒の何人かがそう派手やかにめかし込んで来ていたと映った様でした。

 苦言です。私は自分に言われている様で苦い顔をしてその先生の言葉を聞いていました。授業中です。弁舌爽やか、それまで割合に好きな先生でした(これはlikeです。誤解を招かない様書き添えました。)が、やはり男性教諭、女生徒の心情は理解してもらえないのだと、私は机の上を見詰め失望感を味わっていました。人というのは難しいのだな、男性に女性の気持ちは分からない。反対に、各々が理解し合うというのは難しい物なのだ。と感じた出来事でした。さて、赤いズボンの話はここ迄です。

 次はいよいよ現代、私の還暦の歳に買った服のエピソードです。その前に、お年頃の頃、私は何度かお見合いをしたのですが、その中に、「赤い服を着る様な明るい子と結婚したい。」という男性がいました。これは以前にも書いたことがあるのですが、そういう男性もいるのですから、世の中は誠に面白い物かもしれません。(この方とは破談です。これは余談でした。)


赤い服 12

2021-08-26 15:17:51 | 日記

 私は箪笥を持っていました。これは白っぽい桐の箪笥でした。元は私の祖母の嫁入り道具でした。祖母没後、私用に使うよう母から言われ、以降私はこの箪笥に自分の衣類を詰め込んでいました。何を着ようかと箪笥を覗き込み、あれこれと衣類を物色する度に、私はこのジーンズの明るい赤い色を目にするのでした。一旦は気落ちして仕舞い込んだ服ですが、私の気持ちのフェミニンな部分にこの色は訴えかけて来たのでした。女の子らしく着て欲しい。これを着て女の子らしく振る舞って欲しい。普段ショートカットの髪型、ボーイッシュな雰囲気の私は、そんな事をこの衣服に訴えられている様に感じるのでした。『たまにはね。』、そう思う時、折に触れて私は赤いジーンズを穿いてみたのでした。

 時代は降って、高校生の時です。3年生の頃だったでしょうか、課外学習、つまり遠足です。山道等加わった長距離を各々マイペースで歩き制覇するのです。私達は普段制服の高校でしたが、この日は私服OKとなりました。私は何を着て行こうかと箪笥を覗き込みました。上着を決めて、ズボンをとアンダー衣類の段を開けると、パッと明るいカラージーンズの色が目に飛び込んで来ました。上着を無難な色にした私は、ズボンもそれに合わせた地味な物にしようとしていましたが、ついこの色に囚われてしまいました。高校といえば学び一色です。私はそうだったのです。暗い受験生と思ってください。普段でさえ日中はそう外出出来ない日々が続いていた時期です。遠足、日がな一日とまで行かなくても、日中思い切り外を歩ける訳です。『明るい気分で行こう!。』私は決意して、箪笥の中で一際明るい朱赤に手を伸ばしました。当然トップスも変更です。思いっきり明るく女の子らしい組み合わせで、私は着て行く衣類を決定しました。

 


赤い服 11

2021-08-26 13:08:01 | 日記

 私はここで、赤、朱色に近い明るい赤い色のジーンズを選びました。当時の元々のブルージーンズが濃紺だった事から、その反動でかけ離れた色をと私は選択したのでした。私が女の子らしい色にと考えて選んだこの赤いジーンズは、私がこの店内の商品を見回して直ぐに気に入った物でした。母もそうね、いい色だわと、笑顔を私に向けると機嫌良く同意してくれたものでした。

 私が赤い衣類を身につけるのは、大抵は気分の良い日でした。お天気が良く、少しは女の子らしく着飾ってみて、ルンルンと明るく外を歩いてこようか、そんな気持ちになる日でした。そこで私はこのジーンズを買ってもらった日からこれを穿き、既に数回ご近所を闊歩して来ていました。もちろんこれを穿いた時の私の気分は最高潮で、その明るい色味の気分の儘に、何時も朗らかに帰宅して来ていました。そう、ある出来事があるその日迄。

 或る日、母方の叔母が私の家へやって来ました。叔母は母の末の妹に当たります。こちらへ来た目的は地方都市の大きな商店街で何かの買い物がしたいという理由であったと思います。母と私は叔母に誘われる儘に、共に連れ立って街まで出る事にしました。家を出て直ぐだったと思います。私の母は何か思い出したらしく、叔母と私に先に歩いていてくれと言うと急に家に引き返して行きました。何だろうと、私達は訝しがりながら何時もの商店街の大通りへ、家から向かう道を歩いて行きました。

 商店の入り口に向かう、坂道の通りが有る広道迄の、家から丁度中間ぐらいの距離に当たる場所に差し掛かった時のことです。何を思ったのか、叔母が私からさささと数歩離れるとこちらを振り返って見ました。叔母はそんな素振りをまた数回繰り返して、ふふっと笑うとこう私に言った物です。

「ざっこい、そのズボン似合うと思って着てるの。」

と、こう言った言葉だったと思います。これは叔母が私にその赤いジーンズが似合わないと言っていたのです。『ざっこい』は、母の里の方言で、何かに付けてこの叔母はよくこの言葉を口にしていました。誰かの服装の評は勿論ですが、ざっこい犬、ざっこい色、ざっこい…、等々。意味は妙だとか、尋常じゃないと言う様な意味の様ですが、私の叔母の言いたい事は、『変だ』という意味の様でした。

 行成です。何時も私には親身になってあれこれ構ってくれる叔母でした。叔母の顔が笑顔であっても、私は衝撃を受け吃驚しました。この場合のざっこいの言葉も、私には効果的面でした。この私の驚きは後味の悪い悍しい気分を私にもたらしました。今から商店に買い物に行くという私の楽しい気分は沈み込み始めました。

 その後も叔母は、よくそんなズボンを履いて外を歩けるねとか、恥ずかしくて並んで歩けない等、叔母にすると私が姪という気安さからでしょう、顔は笑顔ですが、つけつけと私に対して小言の様に並べて言ってくるのです。この時の私達はまた並んで角を曲がる所でした。私もそれ迄は笑顔を浮かべ、時には苦笑いをしていたのですが、人間どんな拍子か、ムッとすると思わずプン!となる時がある物です。この時の私がそうでした。

 「私帰る。」

私はそう叔母に言うと、叔母に母と叔母の2人で買い物に行くよう言い出し、自分は家に引き返す構えを見せました。当然叔母は慌てて私を引き止めたのですが、一旦こうと言い出した私も後に引けず、町角で2人であれこれと言い合っていました。その内に私の母が追い付いて来たので、気分を害した私は切りよくその儘ぷいと帰宅したのでした。

 これは私にはショックでした。他人では無い親戚の叔母の言葉だっただけに、剥れた私はジーンズを箪笥に仕舞い込んで長らく穿かずにいました。しかし、その内またこれを取り出して見つめ直し、やっぱり女の子らしい可愛い色だからと、再び穿くようになったのですから、私も極々普通の女の子をしていたものです。


今日の思い出を振り返ってみる

2021-08-26 09:01:03 | 日記
 
今日の思い出を振り返ってみる

うの華 38 一触即発!と見る間に私の目の前で、ずんだんと祖父と父の親子喧嘩らしい小競り合いが始まった。私の見る限り何方も負けていないという様子に見えた。私の手前何方も引くに引けな......
 

    晴れ間の見える良い天気です。世情はコロナの感染者拡大で酷いことになり、こちらも子供達の夏休み延長の様相です。

    高校は延長が決定されましたが、小中はどうなるのでしょうか。特に家の区域の小学校は今年閉校予定なので、学校行事は滞らせたく無いでしょうね。しかし感染を広めたくも無いでしょうし、難しい選択です。巷では自主休校させる親もいるとか。成る程と思いました。

    私は春、母校の閉校を配られてきた区域の会誌で知りました。もう以前から、小学校閉校の話題が校下の会合で話し合われている事は、やはり地域の配布物で知っていました。が、決定していた事は知りませんでした。それで会誌を読み、到頭かと驚きました。突然、もう今年でなのだと知ると意外でしたが、会誌を読んだ時はその後の小学校がどうなるのか分かりませんでした。その後、同じ中学校下の別の小学校と、母校の小学校が合併すると聞いています。

    まぁ確かに、校下の中学校はこの2校の小学校から成っているのですから、これは当たり前といえば当たり前の話しです。けれど…、と、割り切れなく思うのは私だけでは無い事も確かでしょうね。唯、皆それぞれに、母校に餞するのもよいかもしれませんね。