Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

赤い服 5

2021-08-18 15:25:44 | 日記

 私のこの時の反応が意外であり、驚いた様子の母は、その後2、3日モゴモゴとやっていました。やっぱり赤い色似合うよ。お母さんが悪かった。また赤い服着てね。女の子らしい色だもの等々。母は私の折を見てはやって来て、ボソボソと一言ずつ私に語りかける様に言うと私の側から消えて行ったものです。その為でしょう、数日後、私はまた折りがあれば女の子らしい赤い服を着ても良いなと考えていました。

 中学生になって、家庭科の時間、女子生徒が赤いデニム生地でプリーツの入ったスカートを作るという課題がありました。これは女子が皆そうだったのです。…だと思います。この辺りも私の記憶が曖昧で、中には色違いのデニムや、同じ赤い色でもタイトスカートを作成する子がいたかもしれません。兎に角、私は一般的な型の2本プリーツが入った赤いスカートを作りました。縫い糸も白色という、教科の課題らしい、個人的な趣味の様に生地と糸の色合わせなどせぬ無頓着なものでした。裁縫など普段全然しない私です。ミシンや針仕事等嫌々でしたが、授業だからという事で、遅れない様にせっせと仕上げました。お陰で完成品として私の箪笥の引き出しに収まり、私は気が向くと思い出した様に取り出して、ご満悦風で数回着用してみたものです。

 中学3年の頃だったでしょうか、夏の季節、私は当時の女友達と小学校の校庭で待ち合わせをしていました。この時の私は気分が良く、その年か、その前年に買ってもらった半袖のポロシャツを着ていました。ポロシャツは白地に赤い小花が散った可愛い柄でした。襟や袖の縁なども柄の花と同じ系統の赤色だったかもしれません。私はこの女の子らしい可愛い柄の上着に、例の家庭科で自作した赤いスカートを下にして組み合わせていました。これは私なりに、色や雰囲気を全体的に女の子らしくして合わせてみたファッションでした。

 校庭で、私は女の子然としてにこやかにブランコに座ると、約束した友人が現れるのを待っていました。時折時計を見て、もう約束の時間だと私が思った頃、校庭の向こう、ぐるりと校舎のこちらがわの敷地を取り巻く様に植えられている生垣の切れ間に、友人の家のある方向から女の子の姿が現れました。私はそれが自分の待つ人物だと思いました。

 


赤い服 4

2021-08-18 09:38:52 | 日記

 いえ、少々思い出しました。私の服を褒めてくれた女子数人に、私は照れながらこの服についての情報を話したのです。婦人服であるとか、ニットみたいで高そうだが化繊っぽい。また、これはバーゲン品で安かった、幾らだ。数年後迄長く着れると話して母が愛想よく裾を上げてくれた。同じ品や類似品が未だ幾つかお店に有った。何処の店だ。という様な情報です。連れの子も当然私の横でその話を聞いていました。

 多分に、彼女達は親に話しておねだりしたのでしょうか。急ぎ買いに走った子も中にはいたのかもしれませんね。当時の学校祭は2日目にもなるとかなり自由でした。午後になり、学芸会の出番が終わると後はもう帰宅自由と担任の先生に言われ、皆好き好きに帰ったものでした。私は連れもいないし、居心地の悪い学校から早めに帰宅した様に思います。

 赤い色、私に似合わないか、悲観的にそんな事を考えながら家の中に入って行くと、母が含み笑いの様な笑顔で私を待ち構えていました。

「お前、赤い色似合わないねぇ。」

ええ、ええ、そうでしょうとも!、母の言葉にカチンと来た私は、「そうね、赤い服は私に似合わないのよ。」もうこんな服2度と着ないわと言い放つと、ぷんぷんとばかりに、母がこんな服を選んで私に着れと言ったのだとやらかしたものでした。


今日の思い出を振り返ってみる

2021-08-18 08:29:33 | 日記
 
うの華3 26

 この時の私には、未だ「見物」という言葉が分からなかったが、階段という場所で、私が何かしたのだと祖父が言っているのだ、という事は分かった。そこで、『階段で階段を、なに物だか何だか、......
 

    雨続きで涼しい日です。現在エッセイを書いていますが、思い出して行くとついつい脇道に逸れそうなので、この辺りは軌道修正しないといけないなと感じています。