おばさん何かあったんだ。子は自分の友人の母の瞳の色を読み取ると言った。
「おばさん、何か悲しい事が有ったんだね。」
丁度、かつての一等近しい人の死の場面をその瞳に思い浮かべていた彼女はハッとした。幼さ故に無防備だった目の前の子供に、思わず自分の心の隙を突かれた様で、その幼い瞳に、自分が一番に大切に思う思いを仕舞い込んであった胸の奥底へと行成ズンと踏み込まれた様で、紛れも無い自分の真実を読まれた様で、そんな一種の恐怖を伴う嫌悪感が彼女を襲った。彼女は自分の子の友人に対して、今迄その子の身の上を親身に庇う様に寄せていた彼女の半身を起こし自分の身を後ろへと退いた。
それから彼女は何か言おうとしたが、何も言葉が浮かんで来ない。頭は真っ白になった儘、その儘で、平時の様に彼女に機転を効かせて来ない。こんな時は焦ってみるとピンと来るのだが、そんな変化もこの時の自分には起きて来なかった。思う様に行かない彼女は、今し方の自分の迂闊さに腹が立ち眉間に皺を寄せた。彼女は目を欹てるとチッと舌打ちした。口からは、抜かったわ、と、小さくだがこの言葉も洩れた。
商家のお上らしく、何時も遜り腰を低くして愛想がよい。彼女の、この普段の様子とは異にした雰囲気に、如何したのだろうと私は思った。おじさんと何かあったのだろうか。私は階段に立ち身じろぎもせず自分の妻の様子を見詰めている、私の友達の清ちゃんの父に一瞥を送った。その途端、ハッと彼女の方は身じろぎした。私の目の動きで、自分の夫の注意がこちらに向いている事を彼女は再認識したのだ。すると彼女は私からというよりも、自分の夫からその場を取り繕う事に、直ぐ様腐心し始めた。先ず彼女はその頬に笑顔を浮かべた。そうして、智ちゃんと私に対して優しく語りかけて来た。
この様に彼女は飽く迄私に対して接しているという雰囲気を崩さなかったのだが、やはり彼女は精神的に無理をしていたのだ。見詰める私の目に、彼女の笑顔は徐々にピクつくと引き攣り始めた。頬が、口元が、そして私に語り掛けていた彼女の控え目な声音にも、遂にはビブラートが掛かり始めた。そうなるともう駄目だった。彼女の喉の奥でグッと音がした。と思うと、彼女の言葉は途絶えた。堪え切れなかったのだろう彼女の口から嗚咽が洩れ始めた。彼女の瞳の方もそうだ。溢れる透明な液体が出現していた。じいっと彼女の目元を覗き込む私の目に、それは明らかに純粋で美しい物として映った。そうして遂に、それは彼女の瞳を濡らす涙であるという事が私にも分かって来たのだ。