「竹馬の友」
彼女の唇から、この言葉とほうっとした微かに白く見える様な溜息が零れた。妻の言葉に階段の奥の空気が暗く淀んだ。彼女は慈しみのある微笑みを浮かべ玄関先へと静かに近付いて行った。
玄関では子供がその淀んだ闇に気付いていた。子の意識は階段の暗がりが気に掛かる様子だ。自ずと視線もその闇へと向かい勝ちになり、友人の母親越しに子はチラチラと後を見遣るのだった。
「気に入らないんだよ。」
彼女は子に唐突に言葉を掛けた。「おじさんはこの言葉が嫌いなのさ。」彼女も気に入らなさ気に口にした。階段にいた夫はどキリとした様子で背筋を伸ばした。そうしてその階段に在った暗い雰囲気はみるみる改善した。
「俺にはそういった事が分からないんだ。」
彼は言い訳の様に口にした。そういう友達が俺にはい無かったから…。彼は言葉少なにそう言うと、静かに妻の方を見ながら立ち上がった。まだ彼の腰は引けている様子だった。夫の言葉に彼の妻は寂しそうな表情で彼女の視線を傍へと落とした。そんな夫婦2人の不協和音が奏でられる様子を、玄関にいた子供は具に目にしていたのだった。
「竹馬の友だよ。」
怪訝な、自分の子の友人になった子の瞳に気付いて、彼女は再びこの言葉を口にした。が、今回のこの彼女の言葉は、ハッキリと彼女の目の前に佇む自分の子供の友人である子供に向けられていた。
竹馬の友って、いいもんなんだよ。昔私にも、このおばさんにもいたんだよ。彼女は目を潤ませて語り出した。B 29でやられたんだ。天守堂と一緒に。ドカンって、音だけ、覚えてるんだ。
友人の母の、おばさんの細く頼りな気な声に、子はジィッと彼女の目を見詰めた。そうしてその奥に在る彼女の悲哀を発見し、まじまじと覗き込んだのだった。