ミシリミシリと、おじさんは妙に視点を何処かに据えて、強面の顔のみ私に向けながら階段を降りて来た。私の方はその顔が清ちゃんの父親の顔と分かると、にっこりとして彼に挨拶の声を掛けた。しかし私の声掛けにおじさんは特に表情を変えなかった。そうして無言でゆっくりと自分の顔を妻の方へと向けた。そうやって私の視線からようようと自分の顔を外した。
彼はおずおずと、向かい合った彼の妻の肩に自分の片手を掛けた。そうして案じる様な調子で、大丈夫なのかと、溜息混じり、密やかな言葉を彼女に掛けた。そんな夫に妻の方は顔も上げず、静かに彼より下の階段に佇んだ儘だった。
俯いた儘で、彼女は自分の横に立つ夫に心持ち身を寄せたように見えた。伏し目がちの妻、そんな眼下の彼女を彼女の横方向から見下ろす夫。階段に佇む2人の周りには、急にしんみりとした空気が漂い始めた。私は目の前のそんな2人の空気を感じ取った。階段の沈んだ様子に、私はしめやかな野辺の送りの気配を感じるのだった。
この家の親戚に不幸があったのだろうか。私は突如として悟った。そうか、それで店を休んで出かける準備をしていたのだ。透かさず私はこの家の親戚に不幸があったのかと問い掛けてみた。無言で沈み込む彼等から返事はなかった。
階段の2人は、相変わらず2人だけの世界に浸っているようだ。この夫婦は仲が良かった。大体私の家のご近所は皆夫婦仲が良かったが、この若夫婦も御多分に洩れず鴛鴦夫婦だった。ふっと、おばさんの方は片手の甲で目を拭った。涙。やはり涙だ。おばさんは泣いている。私は確りとその事実を目にした。すると、ちらりとこの時おじさんがこちらを見た。おじさんの目も赤く縁取られている。本当に仲が良いなぁと、私はしみじみと胸に感ずる物が湧いた。
「葬式に出るの?。」
私は目の前の夫婦に尋ねた。やはり2人は無言でひっそりとしていた。何方も返事をしてこない。私はこの変化の無い空間、玄関であり店先で有る場所で、止まった儘動かないでいる情景という物に苛立ち始めた。思わず顔を顰めて帰ろうかと考えた。そこでこの家を出る頃合いを伺っていると、「葬式?。」と、不意におじさんの方が口にした。
彼はもう1度、葬式?、だって?。と、半信半疑の体になった。清ちゃんの父、おじさんは今そう言ったのかいと、彼の面を改めて私に向けると聞き返して来た。私がそんな彼に目をパチクリさせながら頷くと、彼は怪訝そうにじいっと私を見詰めた。
はて?、町内にそんな所が。と、彼は呟くと、眼下の妻に顔を戻し、昨日訃報の回覧があったかと尋ねた。さあ、妻は言葉に詰まった。この時彼女は声に出すとその声が震え声になってしまいそうだった。加えてううと嗚咽が漏れそうになるのだ。そこで彼女の方は2、3回、ごくん、ごくんと、唾を飲み込むと、咳上げて来る物をぐうっと下げた。そしてきっ、と、彼女は空元気を振り絞ると威勢よく答えた。「来てないよ。」「そんなもん。」