葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

森浩一さんの苦言 続続。

2013-09-08 19:06:57 | 本のひと言

 吉野ヶ里遺跡で復元された建物は、

本当に弥生時代に存在したものなのか

 「吉野ヶ里遺跡などでも、巨大な見世物的施設をつくることがは

やっているが、復元されたような建物が確かに弥生時代にあった

といえるのか、ぼくには答えられません。考古学でわかるのは建

物の地下に食い込んだ部分だけですから、あとは推定にすぎませ

ん。昭和三十年代、四十年代の文化庁は、~史跡はできるかぎり

手を加えないで、自然の状態のまま残すということに徹底していた。

宮崎県の西都原古墳群に行けばわかりますが、博物館は谷間の

目立たないところに建てている。だからあそこでは、古墳時代の雰

囲気に浸ることができる。それが原則だったのです。

 十五年ぐらい前、文化庁の若い技師が「西都原でも県会議員など

から、いろいろ施設をつくれとの要望が出てきますが、史跡というの

はできるだけ手を加えないところに値打ちがあるんです」としゃべって

いた。文化庁にもしっかりした人がいるなと、安心していたのですが、

日本が不況に落ち込んで、お金をつぎ込んで、学問的に確かな根拠

に基づいているとはいえない見世物的な施設を、どんどんつくるように

変わってしまった。」

 「平城京の地下にトンネルを掘って京奈良道路を通す計画が、皆が

知らないうちにいつのまにか進んでいることです。~考古学協会をは

じめとする学会には何の事前連絡もなく決められてしまっている。おそ

らく官僚のトップクラスだけで決定したものだとにらんでいます。

 町人学者の精神で、ただひたすら好きだからということで取り組む者

が多数だった考古学が、いつの間にかその魂を失い、官僚の独走す

るようになってしまった。いやな時代になったものです。」

 「ぼくの到達点の一つは、“考古学は地域に勇気を与える” ということ

です。そのように考え、ぼくは、関東学や東海学の創造に励んでいます。

若い研究者の積極的な参加をのぞんでやみません。」

コメント
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