葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

昨日につづき忌日の話です。

2013-09-13 19:09:53 | 詩的なつぶやき

 昨日保己一忌のことを書く時、開いた歳時記の同じ頁に 「白雄忌」 があ

りました。 「陰暦九月一三日。江戸中興俳人、加舎白雄(かやしらお)の忌日。

~元文三年(1738)、信州上田藩士加舎吉享の次男として江戸深川で出生、

~寛政三年(1791)没、五四歳」。

 以前もこのブログで取り上げたような気がしますが、我が故郷・上田の俳人

となれば見過ごすわけにはいきません、お付き合い下さい。

 

 別の歳時記に「今も信州上田では忌日法要が行なわれている」とありますか

ら、http://www.ueda.ne.jp/~sirao/(加舎白雄顕彰保存会のHP)をのぞ

きましたら、「1999年12月9日更新」のままのようです、さて、今日は?

 それはとも角として、白雄について少し書きます、といってもkaeruの見識で

はありません。ただ同郷の俳人だ、ということでいろいろ目移りをさせているだけ

です。ここではこれも同郷の俳人・矢島渚男さんの 『白雄の秀句』(講談社学芸

文庫) に寄りかかっています。

 

 上田の保存会HPに書かれていますように、白雄は「天明中興の五傑の一人」

蕪村・暁台・蘭更・白雄・蓼太ということですが、この人々を正岡子規がどう評価した

か、がかなり問題になるのです。 最初のころ(1899年・M32)は「白雄を二位にあ

げていることが注目されよう」 としていたのが、「その後、子規は白雄を推賞するこ

とをしなかったばかりか、むしろ否定的評価を下すにいたっている。それはなぜか」

と矢島さんの筆は続くのですが、この子規の評価が「加舎白雄は不当に閑却されて

きた俳人である」、と『白雄の秀句』 の 「まえがき」 の冒頭に記される元になります。

 そして子規につづき、虚子の「俳諧史評価は投げやりと言わざるを得ない」あり様

で、子規・虚子の「評価は、多くの鑑識力に欠ける俳諧史家たちに決定的に作用し、

ほとんど無批判に盲従するという結果をもたらしたのであった」と、矢島さんは断じて

います。

 この結論に「無批判に盲従する」という格好になりますが、今はその立場で白雄を

読んでみようと思っています。

 

 

 

 

コメント
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