「あまちゃん」 の魅力に音楽がある、はじまりの音楽を聞くだけで、「あま
ちゃん」に洗脳された者の如く魅かれていくから、ある意味ではだらしない
話しです。 昔読んだトルストイの 『クロイツェル・ソナタ』 は音楽の「恐ろし
さ」 を描いていたと思うのですが、違う意味でやはり油断できないものだ
と思います。
この番組の音楽は大友良英、と思い込んでいましたら先日のTV画面に
大友さんの名前と並んで Sachiko M とのサインが見え、?……。
どういう人なのか早速Wikiなどを検索して、大友さんとともに活躍し現
在では独自の演奏活動をすすめていて、今回の「潮騒のメモリー」 「暦の
上ではディセンバー」 などを大友さんとともに作曲していたのでした。
なによりその演奏法の新しさで、「信号音の組み合せで即興演奏をす
る」 と書かれていて、なんのことやら分からないけれど 「良いね」 という
気分になります。「古い奴ほど新しいものを欲しがる」 のセリフの通りです。
そういう奴の感覚を刺激し元気づける響きが、大友音楽の 「隠し味」 の
ように Sachiko M の音楽感が聴く者に伝わってきているのでしょう。
昨日、つぶやきました 「純情きらり」 は音楽が大きなテーマになっている
のですが、kaeru感覚では 「学校音楽・教室音楽」 の枠でしかないという
感じです。 生活感覚の中に新しい力を加えることのできる響きを音に求め
ていきたいものです。
そう言えば、森山神社の奉納演奏・GOCOOの和太鼓演奏の時(8/25夜)
雨があがったとはいえ頭から足までずぶぬれでしたが、太鼓の響きのなかに
身をおいている間、冷たさを忘れていました。一休みしている間オカリナ演奏
でした、とたん冷たさがもどってきて座っていられなくなり帰宅したのです。
ひと時とはいえど体の中から力をつくりだす音・響き、生活のなかで生き活き
と活動する力を生みだす音楽、最も苦手とするこの分野でも、心躍るものがあ
ると知って我が感覚も捨てたものではない、と気をよくしているのです。