kaeruのつぶやき

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森浩一さんの苦言、「旧石器捏造事件」など。

2013-09-06 21:11:15 | 本のひと言

 最初に、森さんと言ってみたり森先生と呼んだりしますが、その時の気分

で呼び方が替わり、今日は森さん、です。 どういう気分かというと、「さすが

森さん!」、というのは片づけをしていましたら、「旧石器捏造事件」に対す

る森さんのインタビューが出てきたのです。

 雑誌「論座」2002年2月号のインタビュー部分11頁を切り離して、雑誌

の表紙にホチキス留めをしてありました。 この事件は毎日新聞が2000年

11月5日の紙面で報じた考古学界を揺るがす大事件でした。

 当日の1面の大見出し≪旧石器発掘ねつ造 宮城・上高森遺跡 調査

団長の藤村氏 自ら埋める「魔がさした」認める 北海道の遺跡でも」≫と

続くのですが、事件の概略はWikiで「旧石器捏造事件」などを参照にして下

さい。

 

 この事件には少なからず関心があったので、実は森さんはこれに関してどう

いう意見をもっておられたのだろうと思っていたのです。これもkaeruの物覚え

の悪さの証明になるわけですが、自分で森インタビューを読み、切り取ってお

きながら、まったく忘れていました。

 インタビューの大見出しを紹介します。

 “魂を失う考古学界” 「旧石器捏造事件」から吉野ヶ里遺跡まで

捏造発覚から1年余り。長らく口を閉ざしてきた考古学界の重鎮が、この

問題を皮切りに、昨今の考古学界の変貌ぶりについて苦言を呈する。

とのリードではじまっています。

 ここには考古学界のあり方、問題点、学界の責任と専門研究者の責任など。

こんな指摘が心に残ります。

「藤村氏が前夜か早朝に石器を埋めると、見かけ上の遺構ができるわけです。

普通の考古学者なら、掘り出したときの土の感触でそれがわからないがずはな

い。ぼくは、遺物が出土したときの観察の鋭さとその情報こそが考古学の命だ、

遺物は遺跡の中においてこそはじめて学問的な価値を持つという遺跡学が考古

学の基本だと主張しつづけています。藤村氏の “発見” にかかわった旧石器研究

者たちは、考古学の基礎的訓練と目配りに欠けていたというしかいいようながい」

 

 当時、新聞テレビなどを通じて知らされる 「全国各地での(藤村氏による)前期

旧石器の発掘」 に疑うことなく驚き、なにか凄いことが起きているのだ!と思い込

んでいた、多分大勢のなかの一人であったkaeruとしては、専門家に対する見方

や報道のありかたについても学びとっていかなければならない「事件」だと思います。

 森さんの 「苦言」 について明日も続けて紹介します。