kaeruのつぶやき

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日本海に沈む巨大な太陽。

2014-02-03 20:48:33 | kaeruの「おくのほそ道」

 芭蕉が立石寺、出羽三山で会得したものは寺院での禊とか弔いとかいう

よりも、己と宇宙を結ぶものとしての「山」であった、と長谷川さんは語って

います。

 そして、最上川河口で芭蕉は「海」に出会います。ここにも己と宇宙を結

ぶものを見いだします。それは後ほどさらに「天の川」の句として深まりを増

していくのですが、ここでは次の句についての長谷川さんの話を続けます。

  暑き日を海にいれたり最上川    芭蕉

 最上川の句については

五月雨と大河を詠む、芭蕉と蕪村。 2014-01-15 

で触れましたが、「山と海での宇宙との出会い」を知ったうえで、最上川を

描いた本文を読んでみます。

≪最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云う

おそろしき難所有。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入。左右山覆

ひ、茂みの中に船を下す。(略)水みなぎって、舟あやふし。

  五月雨をあつめて早し最上川  ≫

 宇宙観を会得した場である「山」と「海」を結びつけた水流、「水みなぎって、

舟あやふし」の思いを経たとき、この句を「すゞし」とのみ詠み「挨拶句」として

いることは芭蕉にはできなかったに違いありません。

 そのようなことを長谷川さんがいっているわけではありませんが、放送テキ

ストの第3回にあたる「尿前の関から立石寺・出羽三山・象潟まで」を「宇宙

と出会う」と題していることからみてそう間違いではないと思います。

 

 鶴岡から舟で内川から最上川に出た芭蕉は、上流の≪舟あやふし≫とい

う激流とは違うゆるやかに河口に向かう最上川を知り、酒田で日本海に流

れ入る最上川を眺めることになります。

 それを  涼しさや海に入(いれ)たる最上川  と詠みました。

この句について長谷川さんは、

≪この句は「海に入たる最上川」が現実、「涼しさや」は心の世界ですから一

応は古池型の句です。しかし「涼しさや」は心の世界といっても何とも弱く、風

の涼しさ以上のものが湧きあがってきません。立石寺の「閑さや」のような宇

宙の静かさを感じさせるまでにはゆかない。≫

そして、次のように直します。

 涼しさを海に入たり最上川

 「切れ」の位置を変えて(/=切れ)

「涼しさや/海に入たる」→「涼しさを海に入たり」

「海に入たる最上川」→「海に入れたり/最上川」

≪これによって「涼しさを海に入たり」という飛躍を含んだ文句が生まれました。

最上川は涼しさを日本海に注ぎこんでいるというのです。大胆な手の入れ方

です。≫

 しかし、芭蕉が最終的に決めた句は次の句です。  

  暑き日を海にいれたり最上川  

≪これはもう一つの最上川」の句「さみだれをあつめてすゞし」を「早し」にした

のと同じ手ですが、これによってこの句がどっしりした雄大な句に生まれ変わ

りました。≫