芭蕉が立石寺、出羽三山で会得したものは寺院での禊とか弔いとかいう
よりも、己と宇宙を結ぶものとしての「山」であった、と長谷川さんは語って
います。
そして、最上川河口で芭蕉は「海」に出会います。ここにも己と宇宙を結
ぶものを見いだします。それは後ほどさらに「天の川」の句として深まりを増
していくのですが、ここでは次の句についての長谷川さんの話を続けます。
暑き日を海にいれたり最上川 芭蕉
最上川の句については
五月雨と大河を詠む、芭蕉と蕪村。 2014-01-15
で触れましたが、「山と海での宇宙との出会い」を知ったうえで、最上川を
描いた本文を読んでみます。
≪最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云う
おそろしき難所有。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入。左右山覆
ひ、茂みの中に船を下す。(略)水みなぎって、舟あやふし。
五月雨をあつめて早し最上川 ≫
宇宙観を会得した場である「山」と「海」を結びつけた水流、「水みなぎって、
舟あやふし」の思いを経たとき、この句を「すゞし」とのみ詠み「挨拶句」として
いることは芭蕉にはできなかったに違いありません。
そのようなことを長谷川さんがいっているわけではありませんが、放送テキ
ストの第3回にあたる「尿前の関から立石寺・出羽三山・象潟まで」を「宇宙
と出会う」と題していることからみてそう間違いではないと思います。
鶴岡から舟で内川から最上川に出た芭蕉は、上流の≪舟あやふし≫とい
う激流とは違うゆるやかに河口に向かう最上川を知り、酒田で日本海に流
れ入る最上川を眺めることになります。
それを 涼しさや海に入(いれ)たる最上川 と詠みました。
この句について長谷川さんは、
≪この句は「海に入たる最上川」が現実、「涼しさや」は心の世界ですから一
応は古池型の句です。しかし「涼しさや」は心の世界といっても何とも弱く、風
の涼しさ以上のものが湧きあがってきません。立石寺の「閑さや」のような宇
宙の静かさを感じさせるまでにはゆかない。≫
そして、次のように直します。
涼しさを海に入たり最上川
「切れ」の位置を変えて(/=切れ)
「涼しさや/海に入たる」→「涼しさを海に入たり」
「海に入たる最上川」→「海に入れたり/最上川」
≪これによって「涼しさを海に入たり」という飛躍を含んだ文句が生まれました。
最上川は涼しさを日本海に注ぎこんでいるというのです。大胆な手の入れ方
です。≫
しかし、芭蕉が最終的に決めた句は次の句です。
暑き日を海にいれたり最上川
≪これはもう一つの最上川」の句「さみだれをあつめてすゞし」を「早し」にした
のと同じ手ですが、これによってこの句がどっしりした雄大な句に生まれ変わ
りました。≫