昨日の “暑き日を海にいれたり最上川” の 「日」について「屋根裏人」
さんからコメントを頂きました。「一日の日」という意味と「太陽の日」という
意味があって「この句が話題になっている」とのことです。
昨日紹介した長谷川さんの書かれたもののすぐ後にそれに関して書か
れているので、まずその部分を紹介します。
≪「暑き日」は暑い一日という意味ですが、その背後に暑い一日を照らしつ
づけ、水平線のかなたに沈んでゆく巨大な太陽が浮かびあがります。日本
語の「日」には一日と太陽という二つの意味があるからです。この「日」とい
う一字の働きでこの句は最上川は暑い一日を日本海に流しているという意
味と、最上川が太陽を日本海に沈めているという二つの意味をもつことにな
りました。≫
これに関して、いろいろの論議があったようで、山本健吉さんの 『芭蕉』で、
幸田露伴のこの句に解釈を「非常にすぐれている」と評しています。
その部分、≪此の句の「暑き日」は爛爛たる大日が海に入り移ろうとして僅
かに十の一を水の上に見せてゐるところだ。それが最上川の押し出る向う
の方にあって、それを最上川が海へ押し入れたものとして表はしたところが
よい。「入れたり」と云つて川の力にしてゐるところがこの句の急所である。
技巧であるが技巧に堕せず句に趣もあり力もある。≫
続いて阿部次郎の文を「参考になる」と示しています。
≪東に山を受けて西日の暑いこの遍の夏の日には、丁度河口の沖に沈んで
行く日の行衛を見送つて夕の涼しさがやつてくるのである。……私は行きずり
の旅行者芭蕉がその土地の風土の神髄を剔出する靈腕に驚嘆する。この句
は涼しさの句で暑さの句ではない。夕暮れの句で日中の句ではない。大河の
勢が暑き太陽を流して海に入れてしまふのである。太陽が大河に流され海に
吐き出され沈められてしまふのである。≫こう引用して、山本氏は
「これでこの句の景観は、言い尽くしているであろう。」としています。
ただし、この文のあと「ところがこれには、……」と「有力な異説」が紹介されて
います、そこの部分は明日に。