「マンネリ」について、ちょっと。
藤を詠む場合は「花を詠み、それも(揺れて)覚束ない様を」または気持ち
としては「鬱陶しい感情」を詠むこと、これが季語としての「藤」に求められた
いたことでした。そして綿々と詠まれ日本人の藤に対する美意識をかたちづ
くってき、それが「藤の本意・本情」でした。
これに対し宗祇が挑戦をします、その句が
関こえてここは藤しろみさか哉
で地名を詠みこんでいます。
(美濃の関にやって来たが、白い花が真っ盛りだ。私の故郷紀伊国の名所
藤しろみさかが、ここにもあるようだ)=復本一郎氏訳
ここに芭蕉も共感していたと復本さんは評して
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ を評しているわけです。
「ちょっと」が長くなりました、以下は短く。
俳諧との「諧」は「諧謔」の諧で、〔「諧」も「謔」も、たわいもないことを言って
人を笑わせる意〕で、俳諧は滑稽さを追求してきました。そのなかで、芭蕉の
弟子の去来が
夕涼み疝気をおこしてかへりけり
と詠みました。
夕涼み最中に腹痛が起こり家に飛んで帰った、というわけです。
これについて、芭蕉が大笑いし「(俳諧の滑稽さは)これとは違うのだなー」
と言ったことを述べ、同じ「夕涼み」を詠みながら芭蕉の示した滑稽さの句と
して復本さんが示したのが
あつみ山吹浦かけて夕すゞみ
です。
温海山(あつみやま)と吹浦の地名を詠み込むことで、「滑稽」の一句としてい
ます。
芭蕉が示した滑稽さは、言葉のみの戯れだったり、去来の句のように「露
骨」なものではなく、「誠の滑稽」によってこそマンネリを超えていくものだと
いう理解があった、と思います。