(注:昨日まで「ベルリン会談」を「~会議」と表記しましたが、「会談」に訂正しました。)
昨日の「つぶやき」の最後に不破さんの言葉として 「世界の現代史を書きかえている
ような思いがしますね」 を記しておきましたが、「ベルリン会談」の評価はその一例です。
これは不破さんの連載「スターリン秘史 巨悪の成立と展開」の今回の分・第14章の
「ベルリン会談の深層」の目次です。
最初の部分に「ベルリン会談の研究にあたって」とあります。その書き出し部分に、
≪この会談についてはたいへん奇妙な状況があります。第二次世界大戦の成り立
ちをきめる上で、きわめて重要な、ある意味では歴史の進路にかかわる意味をもっ
た会談であったにもかかわらず、間違った解釈が定説となって、本格的な研究がお
こなわれないままで来ているように見えるのです。≫
とあります。その間違った解釈とは、
≪“この会談で、ヒトラーはソ連に三国同盟への加盟を呼びかけたが、モロトフが首
を縦に振らず、しかもとげとげしい対応をしたので、ソ連にはその気なしと判断し、ヒ
トラーは対ソ戦に踏み切った”≫、というものでした。
しかし、不破さんによれば、
≪これは、ヒトラーがこの会談にかけた思惑も、それに対するスターリンの対応も、ど
ちらをも見誤ったもので、こうした解釈では、40年11月のベルリン会談から41年6月
のドイツの対ソ戦開始にいたる独ソ関係の推移がまったく理解できません。≫
と述べています。
この問題に対する 「解答」 は目次の最後 「ベルリン会談をめぐる誤った評価がなぜ
広まったか」 に書かれています。
ここに対独戦争の対する二人の勝利者が登場します。一人は言うまでもなくスターリ
ンで、もう一人は当時のイギリス首相チャーチルです。このチャーチルがスターリンの
「汚点隠しのごまかし」を手伝うことになってしまいます。
スターリンの「汚点」とは何か。
≪スターリンにとっては、ベルリン会談でのドイツ側の提案を受諾したことは、スターリン
が侵略国家同盟に参加する道を選んだという点でも、さらにヒトラーにまんまと騙された
という点でも、独ソ戦開始後、ソ連が反ファシズム連合の一翼をになうようになって以後
は、自分の歴史にたえがたい汚点を残した歴史になっていました。≫
さて、その「汚点」をどう消すか、不破さんはこう指摘します。
≪そこで、スターリンは、イギリスの首相チャーチルが1942年8月にモスクワを訪問して、
最初の英ソ首脳会談が開かれた時、その会談を、ベルリン会談についての自己弁明とい
うか、ソ連の立場の正当化をおこなう場として選んだのです。≫
スターリンはチャーチルに対して1940年11月の会談のことを話します。
モロトフ(ソ連外相)は空襲警報が鳴ると、リッベントロップ(独外相)の案内で、何階も
階段をおりて深い避難所に行きます。独外相とソ連外相との会話。
独 「我々が(世界を)山分けして悪くはないでしょう」
ソ 「英国はなんというでしょう」
独 「英国はもうおしまいです」
ソ 「そうなれば、どうしてわれわれはこの避難所にいるのですか。今落ちている爆弾
はどこの国のものですか」
≪スターリンは、この地下シェルターでのエピソードを示すことで、スターリンとソ連が、
ドイツ側の提案をまともに相手にせず、冷笑的態度で臨んだことの象徴的な出来事に
しようとしたのです。≫
スターリンによるこの部分の紹介はチャーチルにたいへん印象深く残ったようで、自
著の 『第二次世界大戦回顧録』 のなかで 「予期された通り、ソビエト政府はドイツ
案を受諾しなかった」の一行を書き残しています。
≪さすがのチャーチルも、スターリンのごまかしの煙に巻かれて、せっかくの 『大戦回
顧録』 にスターリンの自己弁護のセリフを記録してしまったのでした。 ≫