■奥の細道の旅 (2/5着信)
○現在地 酒田に到着しました。
○次の目的地 象潟
○次の目的地までの距離 35.2km
○次の目的地までの歩数 47,014歩で達成です。
酒田の章では句が二句載せられています。そのうちの「暑き日を」について
長谷川さんもかなり語っておられますが、もう一つは紹介しているだけです。
それは、
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
ですが、この句についてkaeruの覚えのために書いておきます。
復本一郎さん(国文学者・俳人・神奈川大学名誉教授)の書かれた『芭蕉俳
句16のキーワード』という本(NHKブックス・1992/11)にこの句に触れた章
が二か所あります。
第9章「本意・本情ーー伝統美意識と、それへの挑戦」では、芭蕉の句
藤の実は俳諧にせん花の跡
古来からの和歌などを通じて「藤は、覚束なき心、鬱陶しき心」を記すもの、それ
を藤の「本意」とか「本情」とか呼ばれるものですが、この句はその「本意 ・本情」
に挑戦したものとして紹介しています。
復本さんの言。
≪「本意」とか「本情」が、和歌・連歌・俳諧等の短詩型文学においては、作品
におけるイメージの膨らみ、という点において、プラスに作用したことは、言う
までもないことである。が、ややもすると、自らの目で対象を見て、何かを発見
するということを放棄してしまって、安易にその対象の「本意・本情」に凭れ掛っ
てしまう危険性もあったのである。そうなると、必然的に、マンネリズムに陥る
ことになる。≫と指摘し、芭蕉もこの危険性を、いやというほど感じていたと思
われると述べています。
そのあと、宗祇が〈関こえてここは藤しろみさか哉〉の句で、白い「藤の花」を
見ての句でありながら地名を入れたことによって、思いきって俳諧的にしたこと
に芭蕉が共感したものと論じています。
ここの部分は復本さんの書かれているものを「思いきって」略していますので、
なんでここに宗祇の句が出てくるのかとお思いでしょう、宗祇の句に対する芭蕉
の共感の部分などは結論だけです。
そして復本さんは
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
(暑い日には風に吹かれてに夕涼みが一番。さて、この吹浦から温海(あつみ)
山が見えるや否や)
について、芭蕉自らも地名を入れての句作りは得意としていたこと、それもあっ
て宗祇の句が「藤の花」の「本意 ・本情」に対し、俳諧的視点から地名を入れる
ことによって挑戦したものとして評価したのであろう、と結論しています。
もうひとつの章、第14 章 での句の紹介は明日に。
今日の結論=俳諧も俳句も「本来在るべき姿」にとらわれていると「本来ある姿」
が見えなくなりマンネリになるという芭蕉からの指摘です。お前のブログも同じこと
だよという声です。