タイトルにある「ベルリン会談」とは、モスクワからソ連外相モロトフを招い
て1940年11月12日から行なわれた会談です。当時ベルリンはイギリス
空軍による空襲を受けており、最終回の会談(第4回・13日)はドイツ外相
用防空壕で行なわれました。
この「会談」の話に直接入る前にこれを読んで下さい。
≪不破 スターリンのいう「マルクス・レーニン主義」が戦後の運動のなかで、
国際的な影響力をもった、というのは、第二次世界大戦の経過とも関係があ
るのですね。ソ連が反ファシズム陣営に加わって、その勝利に貢献した、と
くに無敵とも思われてきたヒトラー・ドイツを打ち破った主役がソ連だったこと
は、誰でも知っている事実でした。そのことが、レーニンのあとをついで世界
で最初の社会主義国家ソ連の指導者となった人物だということと重なり合っ
て、スターリンとその理論を飾り立てる “栄光” となったのでした。私たちも、
戦後、党に入った時には、その事実を前にしてすごい指導者だと思いました
からね。≫
これは雑誌「前衛2月号(2014年)」の座談会「『古典教室』第3巻を語る」
での不破さんの発言です。この部分に続くのが、今回の「深層」に当る部分
です。
≪ ところが、これは「スターリン秘史」でこれから連載する部分の予告編に
なるのですが、第二次世界大戦の最初の段階では、スターリンはヒトラーの
同盟者として行動し、ヨーロッパの領土分割合戦の仲間入りをしています。
スターリンの思惑では、その次の段階では、ドイツ、イタリア、日本の三国
軍事同盟に加盟して、大英帝国崩壊後の世界再分割の仲間入りをするは
ずでした。しかし、この話は、ソ連を騙し討ちするためにヒトラーの謀略でし
たから、41年6月、スターリンはヒトラーの不意打ち攻撃をうけ、思惑が外
れた形で反ファシズム陣営の一翼を担う形になりました。その勝利が “栄
光” となって、大戦後にスターリンの政治的、理論的 “権威” を高めたので
すから、歴史はなかなか皮肉なものです。≫
ここで言われている 「ソ連を騙し討ちにするためにヒトラーの謀略」 を如実
に示しているのが会談の目的を記したドイツ外相リッベントロップの書簡です。
「私は、次のように述べたい。総統(ヒトラー)の意見によれば、四カ国ーーソ
連、イタリア、日本、ドイツ――の歴史的使命は、遠大な視野に立った政策を
採用し、世界的規模で自分たちの権益の境界を定めることによって、自国民
の将来の発展を正しい水路に導くことにある。」
これはイギリスがドイツ軍によって壊滅したあと「破産した大英帝国の巨大
な遺産」の分配による「世界再分割」という大構想を前提にしています。それは
領土 ・ 勢力圏の拡大への果てしない欲望という、覇権主義者スターリンの弱
点を見事に射当てたものとは不破さんの指摘です。
というのはすでにこの年の7月に、ヒトラーは対ソ戦争をごく限られた軍首脳
とのあいだで戦略路線として決めています(1940/7/31)。ですから、「ベルリ
ン会談」という表のスターリン抱き込み作戦によって、対ソ戦争の準備にかかっ
ている軍の作戦立案者たちを混乱させないために、ヒトラーの署名入りの「指
令」がモロトフ到着の日・12日に出されています。
「ロシアの当面の態度を明らかにさせるという目的のもとに政治的討議が開
始されている。これらの討議の結果の如何にかかわりなく、すでに口頭で命令
済みの東方作戦にたいする一切の諸準備は継続されるであろう」
それでは「ベルリン会談」そのものについて、その「深層」について紹介しなけ
ればなりませんが、長くなりすぎますので明日の分にしたいと思います。だた書
かれている不破さん自身の言葉(前述の座談会での)を紹介したおきます。
≪いま『前衛』で「スターリン秘史ーー巨悪の成立と展開」という連載を書いてい
ますが、ここで追求しているのは、理論の陰にあるスターリンの現実の政策と行
動、とくに国際舞台での政策と行動です。書いている私自身が、そのあまりのひ
どさに、1回ごとに戦慄を覚えます。世界の現代史を書きかえているような思い
がしますね。≫
この「連載」には世界史の「深層」が書かれているのです。