葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

おらたちの夢、いまでも熱いよね!

2013-09-22 18:49:50 | あまちゃん

 先週まで 「おらたち、いつでも夢を」 、明日から 「おらたち、熱いよね!」で、

その後は終わり。 終わりを前にして世間では「アマロス症候群」=「あまちゃん」

が終わったあとの喪失感による心的外傷後ストレス障害(別名PASD)が問題に

なっているとか、いないとか、まあ、いないんでしょうが。

 

 それにしても大したもんです、あまちゃん人気! この人気の元はなに?

能年玲奈という女優の起用ですが、先日のNHK「朝イチ」に出演していたのを

観て、この人の「天然性」(自然ではなく)、赤ん坊の持っている天然の柔らかさ、

を感じました。自然というと広がりをもった感じがしますよね、天然というのは鰻

を「旦那、これは天然ものだよ」と店の親父が自慢げに言う塊の感じ。 自然の

神秘の前に、口を開けたり閉ざしたりして感銘する様、天然水は喉元から食道

を伝わって体内に広がっていく感銘。

 

 仮に、丸テーブルを見ず知らずの五六人が囲んでいて能年さんが居る、kaeru

も座っているとします。多分そこにいる能年さん以外の人は緊張しないでしょう。

彼女は、ある程度の時間まで固くなっているんではないでしょうか。彼女はその

存在だけで、彼女を見ている者の心を和らげるという気がします。赤ん坊がすこ

し緊張していても周りの者は、ニコニコしているという感じです。

 「朝イチ」で自宅に居る自分を「生ゴミ」みたいなものだと称していました、自宅

ではだらしなくしているという意味で。 これはどういう状態なのか、人は食べ終

わった残りものの前では緊張しません。食事にはいろいろ作法があるようで、食

事時はかなり気を使わなければならなくても、残り物に対しては、まして厨房に

下げられ生ゴミ化した一群の「残飯」の前では気を使わなくってすみます(その処

理に気が向く以外は)。

 自宅の女優能年さんは自分の持っている「天然性」で緊張を解すことをやってい

るのです。ただこの「天然性」は赤ん坊の生来ものとは違い、女優修行という人工

化を経たもので、ある意味で磨きのかかった天然性、古代虫を内包した琥珀です。

 

 これと同じ天然性は誰にでも内包されている筈です、人間である以上。

 「あまちゃん」への関心は、自分内の「天然性」をどうやって活性化するか、への関心

ではないでしょうか。これからの1週間、kaeruがアマロス症候群に陥らず、その後を

見据えて我が身の天然性の活性化の道を見いだしてみたいと思います。

 そのタイトルが「おらたちの夢、いまでも熱いよね!」です。

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追伸 葉山から鎌倉を……。

2013-09-21 20:28:00 | 葉山そして人

 自宅から御用邸まで30分はかからないが、20分で行くにはかなり足早

に行かねばならない、しかし昨夜は十六夜の月を楽しむ閑雅の里の住人と

いう風で歩いたので25分位かけたでしょうか。

 その時の御用邸前の景は、2013-08-25 の写真(下)を参考に描いて

頂ければと思います。神輿の一群を外し全体を暗くすれば昨夜の景となりま

す。月は東の空30度くらいでしたから松の木立を浮き正せる様には至って

いません。

 

 御用邸前を左に曲がりかけると、右側から横断してきたのが剣道具を肩に

した少年剣士です。右側の葉山警察署で剣道の稽古を終えた小学4、5年生

位、すると先方から乳母車と幼い女の子を連れた婦人が来ました。男の子を

囲み向きを変え歩きだしました。男の子は乳母車の子に手を振って笑いかけ

ます。こんな点描も松の木立の影を背景に見ますと閑雅の趣と映ります。

 

 通りを御用邸側に渡り塀にそって左に向かいます。海側に入る横道の何本目

かを曲がってみました。かなり大きい和風建築を左に見ながら行くと、空き地が

開け奥に洋館(こんな表現が似合いそうな)が、窓をオレンジ色の明りで浮き立

たせています。

 さらに行くと足元が砂地に入り込んでいました、先ほどから潮の匂いがしていた

のですから当然ですが、浜辺に出ていたのです。右側のコンクリート塀が切れると

警察官が立っています、御用邸の端に出ていたのです。すると左側に続いていた

石垣は葉山公園か、と気付きました。

 波打ち際の白波は湾を縁取りながら、まさに鎌倉へとつながっているのです。

飯田龍太さんの鑑賞文の「良夜のきらめく海」を見渡すためには月の高度がか

なり上がらなければならないでしょう。公園にあがり鎌倉方面に目をやっても海

面に近いせいか展望が開けず、「あれが鎌倉の灯だ」といえる所まで行ってみよ

うと、葉山と横須賀の境・長者ケ崎に出ました。

 そこに立てば確かに葉山と鎌倉がつながりました。

 

 それにしても、“葉山から鎌倉を” の句はどこで詠んだものなのでしょう。そして

その場所は今でも「鎌倉を見る」ことができるのでしょうか。また、詠み手である

眞山静枝さんという人はどういう人なのか、何時頃詠まれたのか、知りたいもので

す、手探りをはじめたいと思います。

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葉山から鎌倉を……。

2013-09-20 19:06:54 | 葉山そして人

 良夜=季語・秋、「季題として詠むときは、陰暦八月十五日の中秋の名月

の夜をいう。月光が鮮やかに中天にあり、清明なる夜を楽しむのである。」

(『角川 俳句大歳時記 秋』)

 昨夜はこの良き夜を脇に置いてしまいましたので、代りに俳句の紹介で、

ひと時の風雅をお届けします、それも我が町の句です。

 

  葉山から鎌倉を見る良夜かな    眞山 静枝

 

 飯田龍太著 『鑑賞歳時記 秋』 に載っています鑑賞文も併せてお読みください。

「地名が作品のなかで定着するためには、一読した瞬間、他の地を想像させない

確かさが必要。同時に、その地の特色を十全に言い止めていなければならない。

この句、御用邸のある葉山という閑雅な町と、歴史をたっぷり持った鎌倉という古

都の対照は絶妙。しかも良夜のきらめく海は、両者の関わりを鮮やかに彩る。」

 

 今夜は十六夜、閑雅な町の雰囲気を味わうひと時に出てみます。

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おらたちの夢の底にあるもの。

2013-09-19 19:54:50 | あまちゃん

 今週も終り間近か、来週で全部終わり、「あまちゃん」のことです。始りあれ

ば終りあり、で当然ですがちょと寂しい。今夜の月を脇に置いてこんな本を開

きました。  『北限の海女』 (亜紀書房・2013・7刊)という本です。

    

    

 写真は表紙の表裏、B5版です。その2、3頁の見開きが下の写真です。

  この3頁の写真の海女さんは、アキちゃんユイちゃんではありません。「復

刻版」とあるように「北三陸史窓」という1990年6月刊の郷土史誌、23年前

の「北限の海女」ちゃんです。

 この本の内容は二部構成、第1部が復刻版『ルーツ 北限の海女』、第2部

に「海女の暮らしと観光 ラジオドラマからテレビドラマへ」 として、昭和34

(1959)年放送のNHKラジオドラマ「北限の海女」(脚本水木洋子)をはじめ、

2009年に「かわいすぎる海女さん」と話題になった高校生海女などが紹介

され、今度の「あまちゃん」紹介の頁へとつながっています。

 

 第1部の「小袖の海女が語る」(平成二年二月聞き取り)で古老(72歳・

64歳)の海女が話しています。

「わたしの父は、大和丸で遭難して亡くなった時、私は十三才でした。~

わたしと同じように、この小袖では男親を、海で失った人が多く住んでいます。

だから子どものころから苦労をし、働かなければなりませんでした。~小学校

を卒えれば、早々に嫁に行ったものです。わたしも十六才で…、あんたは十七

才の数え年でしたか。

 嫁にいくといっても、夫はいなんですよ。徴用であったり召集でいってる夫、

それに遥か遠くの外洋で出漁している人の家です。~まあ考えてみますと、

結婚ではあるが、それよりも不在となった漁師の家の、働き手を補充しなけ

れば、という意味があったと思うのです」

「これでおしまいか!と思ったことは何回もありますよ。 息をつめて根かぎり、

耐えに耐えての仕事なもんですから、最後の“ふなばり”への用心が必要な

んです。“ふなばり”とは、海の底の獲物をヤッカリに入れて、重くなった自分の

体もろともに、岩場を強く踏むことをいうんです。その弾みで一気に海面に顔

を出すわけです。

 ウニでも、アワビでも昆布や若布の繁みによくいるものですよ。ところが欲

ばってその中に入って、昆布が絡る若布が絡る。藻草が絡ることもあるんです。

もがいても取り払おうとするがなかなかもんで、だんだん息が苦しくなってくる。

これで終わりかな!と思うことがあるんです。

海底の岩場で、体がようやく入るような穴場によく獲物がいるんです。体を横に

するようにして入り込み、おもしろい程獲物を採っても、いざ抜け出す時に苦労

するんです。ほんとう死ぬ思いをするものですよ。」

 

 ドラマではありますが、「あまちゃん」に出てくる海女さんたちのエネルギーの

元には、こんな歴史が堆積しているのです。

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日本共産党の二つのURL。

2013-09-18 21:00:23 | せいじの政治カフェ

 昨日 「原発稼働ゼロの日を契機に……。」とつぶやきましたが、今日日本

共産党中央委員会が 「福島第1原発の放射能汚染水の危機打開のた

めの緊急提言」 を発表しました。

 下の写真は2013-09-14 で紹介しました東電福島第1原発を陸側から

写したものです。

 「提言」 の全文はこのURLで見られます、新聞1頁分です。ぜひ目を

通してみて下さい。

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2013/09/post-544.html

 

 さて、参院選の結果共産党への期待も高まり、それに応え活動も各地

ではじまっています。今後の党活動をどうすすめるか、その方針を決める

中央の会議がありました。

 参議院選挙の振り返った部分で私の印象に残ったのは、「今回の躍進

は私たちの実力以上の結果である」 という志位委員長の発言です。 活

動の実態をリアルにみれば的確な指摘です。

http://www.youtube.com/watch?v=TcQBoTSov4Q&feature=youtu.be

 日本共産党の方針がどのように決まるのか、その内容はどのようなもの

か関心を持ってもらえれば嬉しいことです、時間があれば見て下さい、1時

間20分程です。

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原発稼働ゼロの日を契機に……。

2013-09-17 17:11:39 | せいじの政治カフェ

 台風一過、秋空のもとで被災地では生活再建のための懸命な取り組み

がすすめられていることでしょう。 TVでも新聞でも取材に応じて 「竜巻を

人ごとだと思っていたら大変なことになってしまった」 との声が聞けます。

お見舞いの言葉とともに、我がこととの思いで見ていきたいと思います。

 60余年前ではありますが、信州上田の我が家は千曲川から100mほ

どの長屋で、台風時は恐怖の時期でもありました。 床上浸水で一家を挙

げて避難した記憶もあります。 それにしても今回の川の氾濫と風それも突

風・竜巻、自然のエネルギーの凄まじさを見せつけています。

 

 ただ、今日の青空を眺めつつこの空の下に原発は1基も稼働していないこ

と、各地の復旧作業に使われている電力に原発に依拠しているものが無いこ

とを「良し!」とする気持ちが広がります。

 「赤旗・主張」 にNHK世論調査で、国がもっとも力を入れ取り組むべき課題

として、原発への対応が一気に10ポイントも上がって27%とトップに躍り出たこと

を紹介しています。(主張全文はこのURLで)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-17/2013091701_05_1.html

 

 この変化はブログでも起きています。

 gooブログは16日の数字で約193万ブログが参加していますが、毎日アクセ

ス数によるランキングが発表され、kaeruも時々見ます。

 だいたい上位のメンバーが固定されています。 ところが今日の2位に「もう黙っ

てられない!……」が入っていました。

 

人気のgoo ブログをチェック!アクセスランキングです。

 

  • 集計 : 2013年09月16日
1

<label>訪問者</label>77,399  くるねこ大和  kuru0214さん  

猫、まんが。

2

<label>訪問者</label>52,884  もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション chiba20110507さん

原発再稼働阻止!原発輸出絶対反対!福島の子ども達を守ろう! chiba201105...

3

<label>訪問者</label>36,889 伊勢ー白山 道  isehakusandouさん

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

   

 昨日の「赤旗」の「秘密保護法案 パブコメ明日まで」の記事中、“「たった2週間

なの?!  藤原紀香さんも「恐ろしい」” と紀香さんの公式ブログから紹介されていま

した、「そのブログがこのブログ」です。

 上位三つのうち、あなたの願いと気持に合うものはどれでしょう、三つともクリック

してみて下さい。

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御加護あり、内に神さん、外に神様。

2013-09-16 22:11:28 | 本州縦断

 本州縦断の「テクテク」が1000kmを超えました、1003.3km。

  先日(2013-09-05 もうひとつのテクテク。 )は静岡市内でしたが、

 今日は磐田市内、こんな所です。すこし見にくいですが浜名湖・浜松市の手前

をテクテクという感じです。

先日にならって拡大してみます。

  ここでも神社、この「テクテク」には神の御加護があるようで、家では

神さんの御加護、旅に出れば神様に見守られているわけで、葉山一色

森山神社の全国ネットも行き届いているということでしょう。

 それでは、神社に寄ってまいります。 

 磐田市富丘415 というのがここの住所のようです。 ストリートビューの

位置の関係か、鳥居の姿も社も見れません。 木立を残した場所ですが磐

田バイバスによってかなりの部分が失われたのではないでしょうか。

 この前の静岡市内の神明神社は街中に残された空間という感じで、木陰

がつくれる樹木が何本かある感じでした。かってはこんもりした鎮守の森で

あったのでしょう。

 街中の神社も一定の木立の防風林の役割とか、災害時の避難場所として

の機能とかいう側面を見直していく必要もあるでしょう。

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生涯に一句あった、という話。

2013-09-16 16:46:17 | 詩的なつぶやき

 これは「遺すべき一句」の続編です。

高野素十という俳人に

 生涯にまはり燈籠の句一つ  

があり、前書きが 「須賀田平吉君に弔ふ」 とあります。

山本健吉の 『俳句鑑賞歳時記』 に、

≪さて、これはしみじみとした情懐のこもった挨拶句である。句が人々の記

憶の中に残るということはたいへんなことである。思い出されない名句という

ものが何の意味があろう。この俳句の下手な故人は、下手の横好きで熱心で

もあったが、 「まはり燈籠」 の句によってたった一度人々を三嘆させたことが

あった。 故人と言えば、思い出すのは「まはり燈籠」の句一つである。もって瞑

すべし。それが「花」の句とか「月」の句とかでなく、「まはり燈籠」の句であること

がおもしろい。軽いユーモアを含んだ明るい弔句である。≫とあります。

 

 この句についてこれ以上の「鑑賞」は必要ないでしょう。

 そうなると、「俳人・須賀田平吉」の「まはり燈籠」の句がどんな五七五であるの

か、下手な横好きの一人として知りたくなります。しかし、手元には何の手がかり

がありませんが、ITのなかに手がかりがありました。

 須賀田平吉=素十の母親の弟の夫人の弟、という関係、42歳で亡くなったそう

で、その句とは

   軍艦も人も急げり走馬燈

 その句に関係して、以下のようなことも記されていました。

≪日本医史学会会長清(蒲)原宏医博(新潟大学名誉教授)が、高野輿巳医博(俳号素十、 新潟大学名誉教授、元奈良県立医科大学学長)の遺した弔句をめぐり、私の義父須賀田平吉との関係を調べるうちに、須賀田家と高野・加藤・市川家が縁つづきであることが判明し、内容を群しく 蒲原先生が俳誌「雪」に、平成3年の6、7、9、10、11月号の5回にわたり「一弔句の背景」と題して連載された。≫ (この文は「西田博」名の一文の最終部分です)。

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遺すべき一句。

2013-09-16 14:56:00 | 詩的なつぶやき

 遺すべき 一句の欲しや 敬老日    加藤康人  91歳 

コメント「六十年の俳句生活の中で遺したき句の貧しさを思う」

 

 今日敬老の日、本州の多くが大型台風に襲われた下での祝日となってしま

いました。この様な状況下で多くの高齢者が災害難民になりやすく、避難指示

26万人などというニュースのなかに、とまどう姿が想像されます。被災による

犠牲者の年齢をみれば高齢者で、それも独り暮らしあるいは高齢者世帯。

 地震・台風・大雨などの厳しい自然環境にある日本列島のうえに成り立ってい

る日本社会は4人に1人が65歳以上という高齢者社会になっています。それ

だけに高齢者の福祉増進に焦点をあてた施策が求められ、政治の方向転換

が必要です、今日の 「赤旗」 の 「主張」 に目を通していただければ、と思います。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-16/2013091602_01_1.html

 

 さて、この俳句は 『1億人のための 辞世の句』 という本の中の一句です。

編者(荒木清氏)による鑑賞文

≪作者の俳句生活はもはや六十年。

それでも後世に遺る俳句の一句があるのかと自分に問いかける。

俳人として、後世に遺る句が一句、二句あれば本望と俳人、皆が思う。

俳句とはそういうもの。作者の謙虚さと素直な思いに拍手。

九十過ぎてこのような思いをいだけるなんて、俳句生活は素晴らしい。

老いてなお、このような俳句を作る日本人の伝統文化の深さをあらためて実感さ

せられる。この一句は「遺すべき一句」への執念ともみることができる。≫

 

 一番下の孫から敬老の日だということでお祝いの電話。 小学校2年生で自分

専用の電話を持っているのが当たり前の時代・社会に、高齢者が孤立し被災者

として犠牲になっているというのも現実。 この現実に変革の兆しを記せる一句が

遺る句になるのでしょう。

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元禄二年三月廿七日、粕壁宿泊。

2013-09-15 20:50:06 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅
○現在地
春日部に到着しました。おめでとうございます。
次の目的地目指してがんばりましょう。

○次の目的地   室の八島   

○次の目的地までの距離  68.9km

○次の目的地までの歩数   91,516歩

 これは三日前・12日に受けた報告です。 今日のところでは、「あと39.4km

あと52,453歩で達成です」 とのことです。 昨日までで29.5km ・39,063歩 

歩いたわけです。

 

 春日部の当時の地名が粕壁で、現在の春日部市の中心部にその地名の町が

あるそうで、 粕壁宿の名を残しているのでしょう。

 『おくのおそ道』本文では千住をあとにして草加に泊まったように書かれています

が、同行した曽良の日記には「廿七日  夜カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。」と

記していますので、これは芭蕉の記憶違いでしょう、という説明になっています。

(井本農一『奥の細道をたどる』)

 この井本さんの本に 「春日部市を自動車で通り抜ける。この地方ではちょっと大

きな街で、市街には商店街もいちおう整っている。人口三万余だという」とあります。

著者がこの旅行記を雑誌「俳句」に掲載したのは昭和30年1月号からだということ

で、そのころの3万が現在23万を大きく超えています。

 

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