kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

戦争を知っている大人たち。

2014-07-21 14:00:07 | せいじの政治カフェ

  今、「しんぶん赤旗」が連載している「黙ってはいられない」の今日はノー

ベル賞の益川 敏英さんの「発言」です。

 その書き出しに 「僕は、戦争体験をもつ最後の世代です」とあり、昨日紹

介しましたブロガー・繁野美和さんの話と重なりました。

 まず、益川さんの「発言」から。

益川さん

 益川さんは、1940年生まれで、 

≪幼いころ、家が陸軍の高射砲陣地の近くだったので≫焼夷弾の直撃を受

けたそうです。≪でも戦争体験が僕らで切れているのは幸せなことです。

(略)

 僕はね、自分が死ぬよりも鉄砲を持って相手を殺す方が怖い。銃眼で相手

の表情まで見て引き金を引く。こんな残酷なことはない。イラクに行った兵士

が精神を病んだり、捕虜を虐待したり…。人間が人間でなくなる。≫

≪政治家には戦争は紙の上の “絵空事” でも国民にはたまらない。それを安

倍首相が憲法解釈を変えて戦争のできる国にするという。≫

≪日本は瀬戸際です。

 歴史的には戦争がなくなる方向に動いています。~今回の閣議決定は逆行と

言えば単純だけど、アメリカに言われて兵を出すという安易な決断と言える。

 でも安倍内閣をつぶしたらそんなことはさせずにすむ。憲法を変えたなら次の

首相もその憲法のもとで政治をせんならんけどね。9条を変えて戦争に行こうと

国民が判断したしたわけではないから。≫

 

 次に、繁野さんの「ラジオ深夜便」での発言、繁野さんは1927年生まれ。

≪女学校二年生のときに戦争が始まり、四年生から京都の学校に行き、三月に

寮に入りましたが、その年の十二月から翌年八月の終戦まで工場での生活でし

た。(略)

 クラス会などで同級生たちの生き方を聞くと、皆さん戦争の苦労を体験している

から強いです。戦争は絶対してはいけないということを身にしみているから、何が

何でも戦争は反対。≫

≪徴兵されない時代、言論統制をされない時代、これは非常に貴重なことだと思い

ます。絶対守らなくちゃいけないと思っています。そして、食べ物がないのも辛いけ

れど、本を読めない辛さをそのとき知りました。≫

 

 「戦争を知らない子供たち」がレコードで出されたのが1970年でした。それから

40年余、「戦争を知らない政治家たち」(彼らは決して戦地に行かない)が、戦争へ

の道へ踏み出したのです。

 今、戦争を知っている「最後の世代」の声が大切でしょう。

 kaeru、1937年生、終戦は小学校2年生、生まれは東京神田、疎開で上田へ。

 戦争体験を持っている世代の一人です。

 このブログでの「つぶやき」もその世代の一人の言葉です。


ブログ、老いてますます……。

2014-07-20 22:02:01 | 本のひと言

 立ち寄った本屋にNHKの雑誌 「ラジオ深夜便」8月号の表紙の、

今日も元気! 87歳の人気ブロガー という文字が目にはいりました。 

開いてみると、

 82歳からはじめたブログが人気を呼び、3月にそれが本になったという内容

です、その本は、これです。

 (かなりPCの調子が悪いので、そのブログのURLを記してあとは明日に。)

「気がつけば82歳」 http://thoughts.asablo.jp/blog/


二組の抱擁。

2014-07-19 23:51:08 | 中間詩的つぶやき

 夕食後眠くなりひと寝入りと思い横になり、二寝入り三寝入りしてしまう。

以前も言い訳めいたつぶやきをしましたが、こうつづくとぼやきになります。

 もう少し寝ていたかったのですが、今夜中にと、それには眼の覚めるよう

なことを、と思い浮かんだのは今朝のNHKの朝ドラで、二組続けての抱擁。

 見た人は分かります。見てない人も目の覚めるような抱擁といえばお婆さ

んが赤ちゃんを抱っこしたとは思いませんでしょう。

 

 「カーネーション」では女主人公が仕事仲間と相思相愛になり、二人が準備

に総力をあげた開店日の朝、「好きです」の言葉を交わしての抱擁。

 「花子とアン」のそれは、主人公ではなく 2014-07-15 でつぶやきまし

た白蓮と若い恋人との姿です。


 ここで、話は一転して日本国憲法第24条です。

 この条文がすぐ頭に浮かぶ人は、多分幸せな結婚をし生活の基本を民主

主義的な基礎において出発したと思います。

 手元に日本国憲法がありますか?なければこちらから。

http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM


 ここでは、やさしく訳した条文を、 『世界がもし100人の村だったら』 の

池田香代子訳。

結婚は、当事者が同意すれば、

 それだけで成立します。

 結婚とは、当事者どうしが 

 おなじ権利を持つことをふまえ、

 たがいに力をあわせて維持していくものです。

 結婚相手をえらぶことや、財産にまつわる権利や、

 相続や、どこに住むかをえらぶことや、離婚など、

 結婚と家族にまつわる法律は、

 個人の尊厳と両性の真の平等をふまえて

 つくられます。


ブログ、「広場」として。

2014-07-18 21:08:24 | どこまで続くかこのブログ

 きょうの日付「7月18日」はこのブログでは三回目を迎えました。

 花の金曜日に 2012-07-18 | 詩的なつぶやき

  私の花金

花はあじさい

金曜日は夜、首相官邸・国会前

一番大切な人と一番大事な場所へ、ともに歩く

胎児とともに歩く人の声を聞きながら歩く

その人の手にアジサイの花

1960年の六月にも紫陽花の街から

私はここに来ていた、

私の花金。


 2年間で  

トータルトータル
閲覧 154,884 PV  
訪問者  61,676 IP  
という数値が出されています。
 
 二年前の7月17日、鎌倉市内の某喫茶店で某夫人がホームページをつくりたい
という私の相談に、この方が易しいとつくってくれたのがこのブログです。
 渡されたPCに「kaeruのつぶやき」と命名されたブログというものがつくられて
「明日(18日)から書き込みができます」というようなことを言われたものでした。
 
 その18日に何を書こうかと考えて、その前の週の金曜日の原発反対行動に
参加したときの気持ちを文字にしてみました。
 今日も金曜日、首相官邸前では鹿児島の川内原発再稼働への動きに抗議し
て行動が行なわれています。最近は秘密保護法や集団自衛権内閣決定など安
倍内閣の諸政策への抗議の行動が多数国会周辺で広がっています。
 
 この間のブログを通じて私は何をやりたかったのか?あらためて考えてみて、
「広場」をつくりたかったのか、と思います。円卓での懇談、雑談の輪が大きくなり
はじめは1対1の対話でも、お互いの会話が行き交い、そのうち全体が話し合い
の渦になっていく。
 そうなると「広場」というより夏のビアガーデンのようになってしまいますが、何で
もおおいに語り合える場であれば、と思いはじめています。
 
 そんなことで三年目にはいりました。「三年目の浮気」ではありませんが、大き
な気持ちで見ていただき、今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。

高齢者と子どもを結ぶもの。

2014-07-17 23:08:39 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」第125回です。

http://www.ustream.tv/recorded/50180257 

 

 ゲストの山本さんの話を聞きながら頭に浮かんできたのは、自分の子ども

頃の遊びです。メンコ、パチンコ(木の股で作った物)、ターザンごっこ、秘密

の基地づくり、なかでも道祖神祭りの小屋掛けての数日間の「暮らし」。

 これらはみんな近所の中学生くらいまでが大小取り混ぜての混成部隊で

の遊びグループの存在でした。それがどういう意味を持っていたのかを気付

かせてもらいました。

 

 その感想に入る前に向井さんの知覧の話に関してひと言触れます。

 「特攻の母」と石原慎太郎氏との交流は意外でした。石原氏は神奈川の逗

子市に少年時代を送っていましたので、私の逗子の知人が「慎ちゃんしんちゃ

ん」と呼んでいたのを思い出し、これとあわせて彼の意外な面をみた思いがし

ました。そして、当時の石原運輸大臣に何のためらいもなく地元の手料理をだ

すトメさんだったからこそ、死にゆく特攻の青年に「母親」として寄り添えたので

しょう。

 

 山本さんの話に戻ります。

 話はサッカーのブラジルチームの敗因から始りました。サッカー王国と言われた

ブラジルが主催地で思わぬ敗戦を重ねた背景に、草野球ならぬ草サッカーの衰

退があったのだという指摘の紹介。 草サッカーに変わり早期の英才教育とでもい

うべき競技力を育て上げていくことに重点が移るなかで起きてきたことだそうです。

 この傾向はブラジルだけでなく、またサッカーだけでなくスポーツが企業化するな

かで、子どもの世界から遊びが失われていったというのです。

 そして、伝承文化の継承として子どもの遊びの復活を訴えられていました。

 この話は、こまどり保育園の保育方針の良さをも言い当てていると思います。

 親が「見せる保育」を評価しがちななかで、「心の保育」を追求するこまどり保育園

はまさに、幼児という範囲ではありますが、伝承文化圏づくりの言えるでしょう。

 

 ケンケンパーとか竹トンボ、それに縁切寺の話など、遊びの世界の奥深さは、集団

でもある地域での高齢者の生活の在り方を考えさせる問題でもありました。大人が

勝つことを教えるスポーツとは違い、年長者が楽しむことを教えられるのが伝承文化

だと、これからの地域での高齢者と子供たちとの関わり方を示していました。

 いい話をありがとうございました。


世の中の見方が変わる「入口」の29分。

2014-07-16 21:25:19 | せいじの政治カフェ

その「入口」はここです。 http://www.jcp.or.jp/ 

戸はノックします。ここはクリックしてください、そして約30分志位委員長の話を中心に視聴してみて下さい。

(上の画像が出ない場合は、「日本共産党」をクリックしてみて下さい。)

今夜はこれだけです。

 

 「…これだけ」などと言いながら追伸です。

 ワイコマさんからのコメントとkaeruの返信。

いい勝負 (屋根裏人のワイコマです)2014-07-16 21:33:06

てんがらもんの2時間と この30分はいい勝負
なんて失礼ですが・・わかりやすくて・・
30分が短かった・・

今日も明日も。 (kaeru)2014-07-16 23:34:55

 「わかりやすくて・・ 30分が短かった・・」

 うれしいコメント有難うございます。
 今日は志位さんを介してお会いでき、明日は「てんがらもん」を介してお会いしましょう。


白蓮の恋と平和運動。

2014-07-15 11:43:36 | 中間詩的つぶやき

 今日の「しんぶん赤旗」文化欄の見出しはご覧の通りです。その書き出しは

「今、NHKで人気を集めているのが朝の連続テレビ小説 “花子とアン” に登

場する伯爵令嬢と炭鉱王の物語だ。それは私(歌人永野朝子)の故郷の炭鉱町

で起きた柳原白蓮と伊藤伝右衛門の結婚話が下敷きになっている」。

 大正三美人のひとりと称された白蓮の離婚について、当時の新聞に中条百合

子(後の宮本百合子)が次のように述べています。(1922/10/24読売新聞)

 「私は白蓮さんの歌を拝見する度に、ある小さな不満を感じていました。あんな

に歌で自分の生活を呪ったり悲しんだりしているが、実生活ではまだ富の誇りに

妥協して、二重の望みに生きているという気がいたしました。そして、今度の事件

を見ますと、しみじみ女としての理解と同情の念が湧いてきます。(略)

 夫人がこういう思いつめた最後の手段に出るまでには、どれ位人知れぬ悩みを

重ねていたか、決してこれは浮わっ調子な笑い話ではないと思います」。

 

 百合子が「小さな不満」を感じていた歌とは、永野さんの引用の

  石の床石の枕に旅寝してあるが如くも冷たさに泣く

  年経ては吾も名もなき墓とならむ筑紫のはての松の木かげに

 などでしょう。

  そして、白蓮が夫伝右衛門に送った離縁状を載せた大阪朝日新聞(10/23)は、

 「愛なき結婚と夫の無理解が生んだ妻の苦痛と悲惨の告白」と書きました。

 

 その後宮崎龍介(ドラマでは宮本龍一)と結婚、召集された長男を敗戦直前空襲

で失います。そのことを永野さんの引用する歌でみます、

  夜をこめて板戸をたたくは風ばかりおどろかしてよ吾子のかへると

  英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壷よ振れば音する

 これについて、永野さんは「焦土の原に、いとし子を詠んで嘆く。その深い悲しみは、

戦後、平和運動へ身をていしていく新たなバネとなった」とし、広島・長崎への憤りと励

ましの歌を紹介しています。

   この犠牲が世界平和の道しるべわがをとめ等よ泣くのでないぞ

    人の世にあるべきものか原爆のいくさは遠く根の国へゆけ

 永野さんの文の最後、

≪いま、安倍政権が再び日本を戦争のできる国にしようとしている。しかし、「戦争反対」

の声は連日、首相官邸をとりまき膨れあがっている。その中に数多くの白蓮の姿が、あり

ありと、私の目には映っている。≫

 

 白蓮が己の存在の自由を求めていた時期、1922年7月15日日本共産党が創立され、

今日がその92周年です。


秘湯 若返りの湯。

2014-07-14 21:16:04 | 信州、なかでも上田。

 「日本秘湯を守る会」

http://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_top.html)を

見て下さい。現在会員宿が31都道県で179軒、1県あたり約6軒ですが、その

なかで26軒という県があります。 そうです、長野県です。

 実はワイコマさんが御自分のブログ(http://blog.goo.ne.jp/ykoma1949

  に上田城を紹介されていて、そのコメントで「秘湯」についてやりとりをしました。

こんな風に→沖縄の「69歳のラブレター」さんが<若返って信州の旅をしたい

と言われますので、

kaeruが<順番が逆なのです。信州の旅をすると若返るのです。「秘湯若がえりの湯」

というのがありまして、肌も気持ちも若返り効果は抜群です、さてどこだったか?>

という話になりました。

 <ぜひご紹介下さいね。必ず参りますよ!>とラブさんの期待の声。

 そこで、「若がえりの湯」探しに「日本秘湯をまもる会」のHPをたずねました。

 ありました、全部「若がえりの湯」です。

 若がえりとは自然の活力を心身によみがえらせることです。

 自然そのもののただ中での入浴は、もっとも自然と一体感を感じられること間違いなしです。

 

 ただ此処には、上田の別所温泉がありません。秘湯というような自然環境ではない、という

ことでしょうが、いささか残念です。というのは真田幸村に関係するのですが、池波正太郎の

「真田太平記」がNHKのドラマ(大河ではない)になったとき、18歳の幸村と草の者(忍者)

お江とのあいだにこんなやり取りがあったのです。

江「あなたさまは、まだ、女の躰を御存知ではござりませぬな?」

幸「う……」

 いつの間にか、源二郎(幸村の幼名)は、お江の双腕に抱きしめられている。

幸「お、お江……」

 

 この後の展開はご想像された通りなので略します。

 この場合の「秘湯」の秘は「秘め事」の秘ではあります、それでも「秘湯 若返りの湯」には

間違いないでしょう。


信州の鎌倉と国宝。

2014-07-13 20:55:16 | 信州、なかでも上田。

 以前、ワイコマさんが別所温泉・安楽寺の国宝・三重塔について紹介され

た(http://blog.goo.ne.jp/ykoma1949/e/ce63d396eb6a66037e4

d82a8f93ac548)時、実は自慢話をしよう(信州人らしく)と思ったのです。

それは「信州の鎌倉と言われる塩田平には国宝建造物が二つあるが、本家

の鎌倉には建造物の国宝はない」と。それでも一応調べてから「つぶやき」

にした方が良いだろうと思っていました。

 それでいま検索しましたら、円覚寺の舎利殿という立派な国宝があります。

多分読んだものに「鎌倉には建造物国宝がひとつ、塩田平にはふたつ」とい

う風な書き方だったのでしょう。それが頭の中でふる里自慢が高じて「鎌倉

はゼロ、おらが田舎は二つ」に「ゆがめられた」のでした。

 別所温泉の安楽寺は紹介済みとして、もう一つの青木村の大法寺の三重

塔が見事な姿をご覧ください、と言っても私の写真ではありません。

http://www.kokuhoworld.com/013.html からまず写真だけお借りし

ます。この案内に「これほどまでに優雅な姿の塔は,山口の瑠璃光寺くらいで

はないだろうか」とあります。瑠璃光寺の五重塔は小説 『見残しの塔―周防

国五重塔縁起』 の舞台になっています。

 この三重塔を軸にした小説があってもいいでしょう。塩田平には「未完の塔」

と呼ばれる前山寺の三重塔もあり、戦没画学生慰霊美術館「無言館」がありま

す。人生の完成とは?などが小説のテーマになるでしょう。

 


続 平林堂という本屋。

2014-07-12 22:12:12 | 信州、なかでも上田。

 これは平林堂書店のHPです。http://heirindo.com/ 

ここに「ご挨拶」として、

「20余年にわたりご愛顧頂きました上田原店は9月末日をもって閉店することになりました。ご支援下さいました皆様に心から  お礼を申し上げますと共に謹んでお詫び申し上げます。(略)」

 今年の9月なのか? わかりませんが、いずれにしても昨日の店舗の写真の

左側の木造風店舗は「平林堂書店」ではないか、なくなるかです。挨拶の内容

からみると所謂事業縮小の結果のようです。書店として長野県下一二という店

であったようですが、厳しい局面を迎えているのでしょうか。

 

 きうの話の続きです。昨夜本の頁をめくっていましたら、

この本が本棚にあったことを思い出しパチリ、三枚。

 横山十四男 『上田藩農民騒動史 ー増補新版ー』 平林堂書店 

と記されています。

 開かれた頁はこれです。

 さて、これはどういうものか?拾い読みをした範囲ですが、

≪第三章 最初の全藩一揆 宝暦騒動

 一七六一年(宝暦十一)十二月に起こったいわゆる宝暦騒動は上田藩における最初

の全藩的大一揆であった。≫ではじまる章にある「上田騒動実記」の原本写真縮尺版

の一頁で、頁の下側に活字版が載っています。 

 なお、本には原本英訳と原本現代訳が載せられています。それは本の発行当時(19

81年)法政大学の客員教授であったアメリカの日本近代史研究家によるものです。

 この本を何時頃買ったのだろう、あるいは上田に行ったとき平林堂で?と思いましたが、

 鎌倉市内の古書店でした。写真の左下に元持ち主であろう人の筆で、

「上田市中央三丁目(原町)平林堂書店にて求む 1984.8.21 石井印」

と見えます。ほぼ30年前平林堂書店で買われた本がこうしてkaeruの

机上で開かれているのも「本の縁」というもので、電子書籍では絶対に起

きない縁です。

 その意味でも小宮山量平氏の「平林堂六十年の記録」に寄せた「言葉」を

ここに記せずにはいられません。(小宮山氏ついては昨日の「つぶやき」へ

の「69歳のラブレター」さんのコメントから、 tttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E9%87%8F%E5%B9%B3

 

それはここに書かれています。

『平林堂六十年の記録』の最初の言葉です。それは「序に代えてーー」と

あり、「良書の主潮流を生み出した人びと」となっています。

 

この文の最後の方の部分に、

<第三の出版革命ともいうべき≪電子出版の時代の到来≫といえば、かの

老舗岩波書店の 『広辞苑』 をはじめとして、(略)その根底から呆気なく揺ら

いでしまう時代を迎えたように、出版業そのものの分野が変革を迫られてい

る状況となりました。

 ~新しい出版文化の時代を、みずみずしく開拓し、温もりある新産業の在り

方を認識すべき時代が訪れているのかもしれません。

(略)>

 

 私も上田の高校卒後、いわゆる神田村の住民となり、書籍流通のなかに身

をおいた者として、この言葉を郷土の先輩、出版事業界の先人の言葉として

自らのものにせねばと思います。