kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

『乱(らん)』・ブリュネのこのあと。

2018-01-23 20:53:51 | 『乱』と「西郷どん」

   『乱(らん)』をブリュネを中心に読んできたのですが、この先続けるためには本そのものを読みすすめていかないと、つぶやきが途切れてしまいそうです。

  一応これまでとこれからの『乱』の構成を章で紹介します、

「第1章 異人切り」は1月1日の「つぶやき」で「井土ケ谷事件」として紹介したところです。章でいうと「第16章 パリ万国博覧会」までがつぶやき終えたということになります。

   このあといよいよ「第17章 王政復古」となり維新の大転換へと舞台が移ります。この章に関しては薩摩屋敷への砲撃を企てていた証としてブリュネの「薩邸砲撃の方略」を紹介しましたが、主題は「王政復古」そのものにあるわけです。そこをある程度詳しく知っていかないとブリュネの行動の意味も曖昧になるでしょう。

  それに「西郷どん」への目配りもしていきたいのでこの章あたりからブリュネの動きだけでなく、幕府側倒幕側の動きも追ってみたいと思います。『乱(らん)』ではこの後、

「第45章 三上超順の最期」で未完のまま終えています。

   大河ドラマ「西郷どん」では藩主が斉興から斉彬へと変わる時期で、王政復古までかなり時間があります。綱淵謙錠の筆で『乱(らん)』に姿を見せる西郷隆盛も追いながら「つぶやき」をすすめたいと思います。

  そのため読みを整理しますので、このブログへの記載を少し休みます。


ブリュネのスケッチ=足跡

2018-01-22 20:22:44 | 『乱』と「西郷どん」

  『乱(らん)』には何枚もブリュネのスケッチの写真が紹介されています。既に慶喜の姿他二枚もこのブログでも紹介しました。ブリュネのスケッチの紹介は即彼の日本における足跡の紹介になるのですが、それをやっていると大変です。

あと一枚で代表してスケッチによるブリュネの足跡は終わり、

同じ写真がネットにありました。

ネットのものには一行くらいの説明ですが、本では1頁書かれています。

【 〈(まず写真の日付)1867年7月6日(和暦・慶応三年六月五日)、江戸の未開人の最初の驚き〉というわけだが、そこに描かれているのは軍隊の大行進とそれに驚く古風な武士の姿である。

   もう少し詳しくこの絵を眺めてみよう。

   部隊は絵の右から左手に行進中である。背景に柳らしい木が何本か並んだ土手と城郭が見えるところから、どうもこの背景は江戸城であり、しかも日比谷から桜田門のあたりを堀に沿って進んでいるところで、これから井伊邸や半蔵門、さらに麹町方面へ坂を登って行こうとしている場面のように思われる。

   先頭にはラッパ手が三人、フランス式と思われる軍服姿も凛々しく、うしろに垂れのついた軍帽を冠り、背中に斜めに鉄砲を担いで、勢いよくラッパを吹き鳴らして行進している。

次の笠を冠った騎乗の士官(日本人)が二人、筒袖・ダンブクロにレキション(羽織)姿で続いている。二人とも抜刀し、うしろの一人は振り向いて何か指図をしている。驚くのは前の士官の西洋鐙に伸びた脚に穿いているのが乗馬用の長靴(ちょうか)らしいことである。

   続いて一般砲兵に轡をとられてた駄馬が、分解された大砲の砲身に車輪をひっかけた形で搬送中であり、そのような駄馬がずうっと列をつくっているらしいのである。

   つまり、これこそブリュネの教えている砲兵部隊の行進図なのだ。ブリュネは江戸でこの部隊の到着を待ち受けていて、このスケッチをしたわけだ。

  画面の右端に大きな饅頭笠を冠り、立派な大小を帯びた、大身らしい身なりの武士が立っている。頭がすっぽりと笠の中に入っているために、いささか仰向く形で笠の下からこの砲兵部隊の行進を眺めているが、その顎を突き出した姿勢がいかにもこの近代軍隊の偉容に驚き呆れている格好で、さながら〈江戸の未開人の最初の驚き〉を象徴しているのが面白い。】


沖縄南城市市長選、勝つ。

2018-01-22 11:28:07 | 国政展望


この後はこちらで、

http://blog.goo.ne.jp/kszh4-shimin/e/8c5540c7efca717fc9d37b90d6260574


頂いたコメントを使わせもらいます、ありがとうございます。

選挙結果 (屋根裏人のワイコマです)
2018-01-22 20:24:36
今年1年、県知事選など重要選挙が続く「選挙イヤー」の沖縄県で21日、先陣を切る形で南城市長選が投開票され、「オール沖縄」が支援する元衆院議員、瑞慶覧長敏氏(59)が、自民党などが推薦する現職、古謝景春氏(62)を大接戦の末に敗って初当選し、現職の4選を阻止した。
両候補の票差は、わずか65票差だった。当確が出たのは、22日午前0時を回ってからだった。
同県では安倍政権と翁長雄志知事の対決構図が続いており、今回も安倍政権VS翁長氏による事実上の「代理戦争」となった。
今秋に、再選がかかった知事選を控える翁長氏は、「選挙イヤー」の初陣で「翁長派」候補が勝利し弾みをつけた形。政権側には、痛い敗北だ。投票率は66・92%。
28日には、米軍普天間飛行場の移設予定先がある名護市で、「選挙イヤー序盤の天王山」といわれる市長選が告示(2月4日投開票)される。名護市長選も、激戦必至とみられている
と日刊スポーツが報じていた。



足跡を日本の国土に印すまで……。

2018-01-21 19:59:55 | 『乱』と「西郷どん」

「来日後のブリュネの足跡は明日以降にします。」と述べて昨日はつぶやき締めとしたのですが、足跡を述べる前になぜ仏蘭西人が徳川幕府の軍事顧問団になることになったのかに触れておかないとブリュネの活躍の背景が見えない、ことになります。

そこで『乱(らん)』を頁を追って書き記しておきます。

【 幕府が旧来の軍制を廃し、洋制に倣い、はじめて歩兵・騎兵・砲兵の〈三兵(さんぺい)〉を編制したのは文久二年(1862)のことで、それからもう足掛け四年にもなるのに、その実績は挙がらず、……】

そこで

【 どこか然るべき国に頼んで陸軍の教師を迎え、士官・兵卒を教導させて、一定の方式を定めたい】

と思い相談に来たのが小栗上野介と陸軍奉行の浅野美作守、相談を受けているのが栗本鋤雲、時は元治二年三月頃(1865年4月)とのこと。

   栗本鋤雲(瀬兵衛)は医者として函館に赴任していた頃、フランス公使ロッシュの通訳メルメ・カションと親しくなり彼を通じてロッシュとも仲良くなった。幕府はフランスとの仲立ちとして彼を外国奉行にしていた。

   その鋤雲が言うのには、カションが〈海軍は真に英勁く、陸軍は真に仏強きの証〉を、フランスの歴史を述べながら説いた、と。その翌日、フランス公使館を鋤雲が訪れ、陸軍教師招聘の件を述べると、意外に順調に話が進んだ、とのことです。

   ところが、幕府内部ではイギリス陸軍依存もあり、二股をかけている状況でしたが、結局慶応二年正月元旦(1866年2月15日)に幕府との協議された内容がロッシュからフランス政府に応諾の請訓が発せられ、1866年5月15日(慶応二年四月一日)付で、応諾すべきとの訓令をロッシュが受けて、14日の「つぶやき」に結びつくのでした。 


「政府の闇」の一隅へ光

2018-01-21 17:07:47 | 国政展望

写真 

(「しんぶん赤旗」20日付)

(写真)最高裁が官房機密費の一部文書開示を認める判断をした判決を示す原告と弁護団=19日、東京都千代田区

   

官房機密費 一部開示命じる

最高裁 “つかみ金”の実態に風穴

   大阪の市民団体「政治資金オンブズマン」が内閣官房機密費(報償費)の支出について情報公開を求めた裁判で、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は19日、一部文書の開示を認め、国の不開示処分を取り消しま 最高裁が官房機密費の情報公開について判断をしたのははじめて。これまで黒塗り文書すら開示されてこなかった機密費の秘密に風穴があく、画期的な判決となりました。

   最高裁が開示を命じたのは、「政策推進費受払簿」など3種類の文書です。

 「受払簿」は官房機密費の金庫から、官房長官個人が管理する金庫に繰り入れた金額を記したものです。

 長官が個人管理する金庫に移されたお金は、「政策推進費」として、領収書もいらず、長官の裁量で支出できます。3類型ある支出の中で、もっとも“つかみ金”の性質を持つもの。

 最高裁判決は「政策推進費の繰り入れは、機密費から政策推進費として使用する額を区分する行為にすぎない」と指摘し「不開示情報に該当しない」として国の不開示処分を取り消しました。

 また、最高裁判決は「出納管理簿」「報償費支払明細書」についても、政策推進費の繰り入れに関する部分についての開示を認めました。

 原告の1人、上脇博之・神戸学院大学教授は「開かずの扉をこじあけた画期的判決だ」と会見で喜びを語りました。

内閣官房機密費(報償費) 内閣官房長官の判断で支出され、月平均で1億円が国庫から渡されています。機密費には3類型があり、(1)官房長官自らが管理し、政府協力者などに領収書不要で支出できる「政策推進費」(2)会合の飲食代や情報協力者への謝礼などの「調査情報対策費」(3)慶弔費や交通費、贈答品などの購入費用などに支出する「活動関係費」―があります。


I can we can. 「私は出来る」からはじまる私たち……。

2018-01-20 20:23:37 | 国政展望

 https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180117-00080543/

 

以下の一文は、今日の「しんぶん赤旗」から

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-20/2018012004_01_1.html

日本に来て、日本人が非常に大きな情熱をもって核兵器を廃絶したいという声をあげていることに大変感動しました。みなさん方の情熱がICANを非常に勇気づけてくれています。

 人類は、大量殺りく、大量破壊する兵器を廃絶したいと努力してきました。しかし、いまでも核兵器によって生存が脅かされています。私たちの世代で解決しなければなりません。

 まず政治的な意思をつくりあげることです。何百万人もの無辜(むこ)の市民を無差別に殺すための兵器だということを政治家に理解させ、力の象徴ではなく、恥の象徴だと認識させなければなりません。

 実際に現実を見てみると、核戦争の危険性はこれまで以上に増していると思われるかもしれません。アメリカは核兵器を使えるようにしようと思っています。北朝鮮も核兵器を発射させようと脅しています。

 しかし、私たちは良いニュースを持っています。私たちはいよいよ、核兵器を禁止するところに近づいてきているからです。

 昨年は122カ国が国連において核兵器禁止条約を採択しました。そして50カ国が署名をし、実際に批准されることによって、発効することになります。

政治的地位失う

 国際的な条約によって非合法化された兵器は、政治的な地位をなくしていきます。各国それぞれの国会や市民社会の意見により、今後この核兵器を持つべきではないという声が高まってくるからです。

 これは、困難ですが、必ず達成できます。多くの人々が声をあげ、核兵器に反対し核兵器を廃絶しようという動きにすれば、政府を動かすことができます。

 日本政府はほかのどの政府よりも核兵器の悲惨さをより多く理解しているはずです。広島・長崎に起こったようなことが、他の都市でも繰り返されていいと日本政府は思っているのでしょうか。

 日本は核軍縮のリーダーになってもらいたい。そのためにも、禁止条約に参加しなければなりません。

 日本は民主主義国家なのですから、当然市民の願いに政府は応えなければなりません。みなさんこそが首相の“ボス”、上司にあたるのです。ですからみなさんが声をあげ、団結し、連帯すれば政府は無視することができなくなります。もし現在のリーダーがわれわれの希望を聞かないのならば、別のリーダーを選ばなければいけません。

 核兵器をこれからも維持し、使おうという国を孤立させなければいけません。核兵器禁止を現実のものにするのは人間です。

 これまでの歴史の中で核兵器の使用にもっとも近いのは今です。核兵器を廃絶するというところに近づいているのも今です。ですから、われわれは希望をもつことができます。

行動選択しよう

 私たちは、待つことに嫌気がさしました。行動を選びましょう。科学者も含め、さまざまな人が、核兵器を廃絶することは難しいということをくどくど話していることも、聞き飽きました。だから、自分たちの手でテーブルをつくることにしたのです。

 核兵器がわれわれを破壊する前に、私たちが核兵器に終わりを告げなければなりません。われわれは、人びとの力によって、これまで核兵器がもたらした悪夢に終わりを告げることを信じています。


「第十七章 王政復古」のなかのブリュネ

2018-01-20 19:26:47 | 『乱』と「西郷どん」

   17日に「第十六章パリ万国博覧会」を「つぶやき」ました、その続き「第十七章 王政復古」を読んでいましたら最後の方に、

 「本稿の主人公」ブリュネ砲兵大尉と改めて記されていました。  

  『乱(らん)』が明治維新をどの角度から描こうとしたのか、それを誰を主人公にして描けば描けるのか、綱淵謙錠は史料資料の細部に入りながらも常に頭には方向が定まっていたことでしょう。

   ところがkaeru の頭には史実の知識も無ければ、方向も確立していないため記述の流れに漂っている様です。さらに「西郷どん」の影響もあって「西郷」の名前が頁に見えると、そこへ目が移ります。

   その結果、ブログの読み手の理解不能になることなどには気が向かず、ただ面白そうなところを点描しているだけでした。そこであらためて軍事顧問団に一員として来日したところから、ブリュネの足跡を追ってみなければなりません。

  となるとかなり長くなりそうですので、今回は「王政復古」章のブリュネに絞ります。これにも西郷隆盛が絡んでくるのは写真の文中に「薩摩屋敷の砲撃」とあることでもわかりますが、この薩邸焼討ち事件に至る話としてこう書かれています。

【 西郷の受け持った〈後方撹乱〉戦術は、江戸を中心として関東方面で幕府を挑発し、武力抗争〈内乱〉にもちこむきっかけをつくることが狙いだった。そのため相楽総三たちは十月の初め頃から江戸の芝新馬場にある薩摩藩上屋敷、通称三田の薩摩屋敷を根城として、このいわばゲリラ戦に従事するのである。】

   これが慶応三年十二月二十五日(1868年1月19日)の薩邸焼討ち事件へとつながるのです。この邸焼討ち事件へとつながるので」が写真の最初の一行です。

来日後のブリュネの足跡は明日以降にします。


「卑弥呼を知っていますか」

2018-01-19 21:38:10 | 逗子 鎌倉 それぞれ

  このタイトルは、先日行われたミニ講演会のもので私が欠席したのでレジメだけでも欲しいと送ってもらったレジメの題です。       

  卑弥呼と言えば、と書き出せば「邪馬台国はどこにあった?」と連想ゲーム的に出てくるのですが、まずはこれでしょう。

  「魏志倭人伝」、この文字情報を手掛かりに、考古資料に裏付けられながら「邪馬台国はどこにあった?」の “国民的関心” が寄せられてきました。「どこに?」の問題に関してレジメを送ってくれたYさんに次のようなメールを送信しました。

10日のレジメありがとうございました。

以前、卑弥呼に関連して邪馬台国が日本のどこにあったか?

大きく分けると北九州説と畿内説になるのですが、これは日本列島にいつ頃どこに統一国家が形成されたのか、という事に繋がっている問題だという指摘を読んだことが頭にあって、単なる場所問題ではない日本史のなかの最重要問題に入るだろう、と考えていました。

 その意味で今回卑弥呼を取り上げてもらって、あらためて考える機会になったと思います。それに次回が「古道」だということです、これはヤマトタケル伝説につながる大和政権の東征に関連している問題でしょう。

それと併せて長柄桜山古墳の時代的地域的位置付けも、かなり関心を引きます。その意味で先日のAさんと会長にお供しながら「古道散策」ができなかったのは残念でした。次回には是非参加せねばと思っています。」

 このメール内容の一部ですが、大和政権という形で関東から九州の大部分を支配する統一国家が形成された時期は? に直接繋がる問題でもあります。それは三浦半島の根っこに造られた長柄桜山古墳の位置する時代背景の中身でもあるはずです。

   併せて、いま読みすすめているている『乱(らん)』と「西郷どん」との繋がりも感じています。
  海音寺潮五郎の『史伝 西郷隆盛』で、海音寺は、
【一般には、維新運動は尊王思想によっておこったと考えられていた。これがあやまりであることは言うまでもない。(略)
   維新運動の本質は国家統一運動であった。維新運動が世界近世史の一環として世界史的意義のあるのは、このためである。】
と書いています。

   これを読んだ時、不破哲三さんが野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』について語っていたこの部分を思い出しました。

【 幕末変革論の躍動的な展開】の見出しで、
【 明治維新論も興味深いものです。たとえば「尊王攘夷」というスローガンが革命的スローガンとしてどういう意味をもったか。幕府打倒運動に、「全国民的統一」の色合いを持たせるうえで、「攘夷」はある時期まで決定的な意味をもったなど、躍動的な分析が展開されています。】
 
    卑弥呼から野呂栄太郎それに海音寺潮五郎まで、不破哲三さんも持ち出しての話になってまとまりがつかなくなりました。もう少し言うと、古代日本の成立による古代国家の時代、鎌倉幕府から徳川幕府の封建国家の時代、明治維新はそれを崩壊させて資本主義国家・日本にしました。
   さて、こう書いてきますと「これはマルクスやエンゲルスの言う奴隷制、封建制、資本制と社会が発展するという階級史観ではないか」との声を感じます。私もそう思います、そうなると次に来るのは「ポスト資本主義」社会、21世紀の世界はその視界を持つことを求めています。

ホメオスタシス

2018-01-18 21:02:20 | 「てんがらもんラジオ」

   先々週は向井さんから並立鳥居を教えてもらいました。今日の「てんがらもんラジオ」ではタイトルにした「ホメオスタシス」。生まれてはじめて聞いた言葉で、もし保健師・児島淳子さんからでなく、たまたま耳にしたら何か動物の名前かなくらいの受けとめだったでしょう。

   児島さんはこの言葉を説明して「どうです、身体って凄いでしょう!」というような感嘆詞を付け加えました。

   例によって聞き違い、聞き落としがあるでしょうからこちらで視聴して下さい。  http://www.ustream.tv/recorded/111987106

   ホメオスタシスの話の前には、交感神経と副交感神経とかアドレナリンとノルアドレナリンのことに触れていました。要は私たちの身体の中にはアクセル機能とブレーキ機能が組み込まれているとのことです。

  そうすることによって総体として身体自体が生きようとするのだそうです。その働きをホメオスタシスというのだと理解しましたが、勝手に思い込んではいけないので、事典にあたりましたら、

「生物が生理的諸機能の総合的な働きによって、体内の物理・化学的な状態を一定に維持しようとする性質をホメオスタシスという」とありましたので、そう間違いではないでしょう。

その事典には、

「高等脊椎動物にみられるような発達した内部環境の恒常性は、幾億年にわたる長い進化の通過によって、次第に確立されてきたのである」と。

  高等脊椎動物の一種である人間のひとりである我が身も、幾億年の進化の結果としてこうしてブログなどというものを書いていられるのです。児島さんが自分の身体に感謝したくなるような話をしたい、と言われましたがこれは我が身一代への感謝では済まないことです。

  幾億年まで遡らないとしても幾百万年、人類史位の範囲まで入れての我が身への感謝となると、人間愛とか人類愛という水準になるようです。先週「西郷どん」の描く愛のスケールの大きさを考えたのですが、今夜も桜島規模で描かれるスケールになりそうです。