クラーナハ話題が続いてしまうが、今回の「クラーナハ展」に《パリスの審判》が見えなかったのは私的に少々寂しかった。以前書いたことがあるが、青池保子「エロイカより愛をこめて」(漫画です♪)でエーベルバッハ少佐が追いかけたのも《パリスの審判》である。
で、《パリスの審判》はクラーナハ工房の売れ筋商品だったのだろう。この主題で一体何枚描いているのかわからないけど、その数ある《パリスの審判》の中でも私的一番のお気に入りはカールスルーエ州立美術館作品である。
ルーカス・クラーナハ(父)《パリスの審判》(1530年)カールスルーエ州立美術館
背景の樹木の噎せ返るような濃緑がアルトドルファーを想起させた。展示場所も「えっ?」と思える角の壁際で、出会いがしらの「びっくり腰のパリス」だったもので、その印象が強く残っているのかもしれない。
このカールスルーエ州立美術館(Staatliche Kunsthalle Karlsruhe)は2009年春のベルギー・ドイツ旅行の折に訪ねた。濃~いドイツ絵画をたっぷりと観ることができた。
カールスルーエ州立美術館(車がジャマね(^^;)
お目当てはグリューネヴァルト作品だった。コルマールの祭壇画を観たら、やはり追っかけたくなる画家である。
マティアス・グリューネヴァルト《磔刑》(1523-25年)カールスルーエ州立美術館
初期のデューラさえも(だからこそ!)ドイツ絵画特有の濃さに満ちていた。
アルブレヒト・デューラー《荊冠のキリスト》(1493年)カールスルーエ州立美術館
グリューネヴァルトやデューラーを含め、カールスルーエの数々の作品はドイツ絵画の持つ生々しいアクの強さをみっちりと教えてくれた。「ドイツ的なもの」を考える一つのきっかけになったような気がする。
で、この「ドイツ的なもの」については、後にネットで秋山聡氏による『ドイツ美術はなぜ「醜い」か』を読み、勉強させていただいた。イタリア絵画を見慣れた目には、やはりドイツ固有の美意識は異質だったのだ。いや、異質だからこそ、面白いと思う理由でもある。