Reflections

時のかけらたち

久々の東山魁夷展 ・・・ Higashiyama  Kaii 

2018-11-08 23:56:25 | art
前売りでチケットを買っていた生誕110年東山魁夷展に7日に行きました。
まだ始まらないと思っていたけれど、始まると気が付かないうちに終わってしまいます。
終わるころになって慌てていくのも嫌なのでちょうど火曜日のヨガの先生が話していたので、
翌日に行くことにしました。平日の午前だとそれほど混んでいないのではということでした。





彼の日本の四季を描いた3枚の絵に続いて「残照」がありました。
この絵の前に立つと涙が出そうになる。そういう絵です。
大きな思いが私に伝わってきました。いきなり泣きそうになるほど
感動しました。
何か一つの転機のような絵だったと記憶していて調べてみました。

鹿野山の山頂からの眺めをモチーフに魁夷が39歳のときに描いた。現在も、東京国立近代美術館で多くの人を魅了し続けている。
静かな心が落ち着く絵が並びます。
冬の陽射しを浴びた山並みが幾重にも重なり合いながらなだらかに遠くへと続いている。手前には暗く茶褐色に彩られた冬枯れの山肌。それが次第に青紫へと色を変え、遠くの山の斜面は夕陽を浴びてほのかな薄紅色に染まっている。
その山並みの上に広がるのは、美しい澄み切った雲ひとつない冬の空。その風景は、見るものに無限のひろがりを思わせる。
画家としてなかなか評価が得られなかった魁夷は、終戦近くに招集され、熊本へ。爆弾を抱えて敵陣に飛び込む訓練の日々で、生きる希望さえ失ってしまう。
戦後、やっと絵筆を手にしたとき、魁夷は全ての家族を失い失意のどん底にいた。そんな時、房総の鹿野山に登る。そこで見た連なる山々の姿に圧倒され、風景画家としての魂が再び沸き起こる。そうして、生まれたのが「残照」だった。それは、戦後日本を代表する風景画家・東山魁夷の誕生でもあった・・・。 美の巨人たちより



東山魁夷の絵は魂のふるさとみたいな絵です。安らぎを得ることができる絵です。
春の雪の柔らかさが感じられる春雪、新緑、四季の移り変わりが展開されていきます。

どの絵も心が洗われるようです。

白馬の絵は唐招提寺の襖絵を依頼されて悩んでいるときに現れた絵で
その年にしか描いていないということを知りました。彼の苦悩から出た祈りです。
まだ中国との国交が正常化されていない時代に絵を描くために何回か中国に
渡ったとのことでした。覚悟がいる大変な仕事だったのですね。
唐招提寺は大好きな奈良の寺の一つで奈良の初めての一人旅に行くときに読んだ本の
ひとつが東山魁夷の「唐招提寺への道」でした。彼のそこまでの人生を語っていました。





終戦後に描いた道の絵ははるか先の道がどうなっているのだろうと憧れのような思いがあり、
さわやかな緑の中でしたが、晩年の道は細くなって、木枯らしが行く手に舞っていました。
絶筆の夕星の絵の前ではこみあげてくるものがありました。
ほんものの絵を見ることってこういうことなのですね。じかに伝わってくるものがあります。
水に映る樹の葉の細かいタッチに。(タイプは全く別ですが、ゴッホのタッチを見ていても
感じるものが強すぎて、痛くなります。)

東山魁夷は「夕星」について、話している。
「これは何処の風景というものではない。
そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことがない。
つまり私が夢の中で観た風景である。
私は今までずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。
しかし、ある晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。
たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、
ここが最後の憩いの場になるのではとの感を、
胸に秘めながら筆を進めている」
「心の風景を巡る旅」、東山魁夷著、講談社、2008年から。

「夕星」の4本の木は、両親と兄、弟という。
空には、一つの星が輝く。
湖に映ってはいない。

「夕星」には、「魁夷」のサインと落款はない。
一度は入れたサインと落款だが、消している。


どこかで夕星はフランスの風景と自分で墓地に選んだ長野の
風景が混ざったものという記述もありました。


ゆっくり見れるくらいの人で車いすの人も充分楽しむことができたようです。
私も静かにひとつひとつの絵に向かうことができました。もともと好きな画家でしたが
何十年か前の国立近代美術館での魁夷展より感動したかもしれません。
彼はその頃もとてもポピュラーな画家でしたので、白馬の絵を見てもあれねみたいな感じが
ありました。丁寧に見ていくと木々の間の白馬が輝いていました。
やむにやまれず描いた絵だったことを今回知りました。

なんだか新しい目で見ることができたような気がしました。

新国立美術館では同じく学生時代に大好きだったボナール展もやっていて
初めて日本で公開されるものも30点くらいあるとかで、時間をみつけて
行ってみようかと思いました。

何か洗われるような展覧会でした。心も目も。
静かな感動が心の中で続きました。

Nov.7 2018 the National Art Center, Tokyo


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今思い出す人 ジョルジョ・ドン ・・・ Jorge Donn, clown de Dieu

2018-11-07 23:28:25 | people


ブルーが亡くなった時から家計簿が止まっていました。
レシートをエクセルに打ち込むだけですが、4か月分です。
もうおっくうになって、後回しにしっぱなしでした。
仕事をしているときは目を通すこともない、保険や投資や年金についても
確認して、国民健康保険料や介護保険料の高さに改めて驚いたりして
全体像は再確認していたのですが。やたら介護保険とか入ってしまっていたのも
考え方でこれで良かったのかしらと思ってしまいます。
年金で取り崩していくだけの生活になるので、いろいろ見直しも必要かもしれません。

気が付くと足元に来ていたブルーももういないし・・




my one and only love と言う懐かしいメロディーをどこかで聞いてYouTubeで
探して聴きました。結婚したての頃、よく聴いた曲です。あのころはジャニス・イアンも
よく聴いていました。30年も前のこと。





懐かしいジャズを聴いていたらYouTubeにジョルジョ・ドンが上がってきて、ボレロが懐かしくて、
思わず見てしまいました。何回見に行っただろう。バレエ・フェスティバルやベジャールの
20世紀バレエ団。今見ると舞台では遠くだったので手の表情がきれいとかしか思わなかったけれど
体が汗で光ってすごい。あの淡々としたボレロを神にささげる儀式のようにリズムを刻みクライマックスへと
上りつめていく緊張感。
彼はやっぱり天才だったのだと改めて思いました。
ベジャールとのコンビで素晴らしい作品を作っていったのだけど。最後に見たのがニジンスキーを
演じたもの(ニジンスキー、神の道化師)でした。エイズにかかっていたことがわかっていた時だと
後から思ったけれど。


 




フランソワーズ・モレシャンとの対談をみつけて見たら、とても面白かった。
他にも動画で歌舞伎や能の動きを思わせるものもありました。20世紀を代表するダンサーだったのだと
改めて偉大さを思いました。

















今、再びジョルジョ・ドンのことを調べていたら、今までブエノスアイレスからこのダンサーが出たことを
不思議に思っていたけど、彼はロシアからの移民だったことがわかり納得。
1992年11月30日になくなたのでもう18年もたったですね。



この夏に行った世界バレエフェスティバルは佐々木さんの追悼でもあり、今までのバレエフェスティバルのことを
全部振り返っていたけれど、もっとドンのことをフィーチャーしても良かったのではないかと思いました。


ドンの記事をいろいろ探していたら
Love your life, poor as it is.――貧しくとも君の生活を愛せ。(H.D.Thoreau)
という私の学生時代に大好きだった作家ソローの言葉をサブタイトルにしている人がいました。
plain living and high thinking という言葉も思い出しました。これからの指針でもある言葉。




続けて久々にグールドのバッハとか聴きました。グリモーのベートーヴェンもすごくよくて。
グリモーは一度ブラームスを聞きに行ったことがありますが、他にもラフマニノフもモーツァルトも
音が透き通っていていいピアニストがいたのだと気が付きました。


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友達のいる病院へ ・・・ visiting a friend in hospital

2018-11-05 23:48:46 | thoughts


年に最低1回は一緒に食事をしたり、いい音楽会があると一緒に出かけてる友人と
やっと連絡が取れたのだけど、彼女は入院中で、今月一度退院してもまたすぐ治療のために
入院するということがわかりました。



今日はとりあえず、一度お会いしたいと思って、彼女も来ても大丈夫と言うことなので
お見舞いに出かけました。もう一人の友人も昨日までに仕事を片付けて行くことができるようになったと
朝連絡が来て、久しぶりに3人で会いました。



一緒に3時のお茶ができるというので、ポットに今まで仕事で持っていっていたドリップコーヒーと
朝、レザネフォールまで行って生菓子も買って病院に急ぎました。



彼女は私より前にご主人を亡くされているのですが、今までもいくつかの病気と闘ってきていて、いつも励ます
立場の私たちが励まされています。いつも冷静な分析で落ち着いていて、たくさん悩んで得た落ち着きなのかもしれませんが
私たちの気持ちを和らげてくれます。



いいお医者さんに出会うことは人生を変えていきますね。外科の治療をしていて、年齢や以前の事故のせいかと思っていたら
血液の病気であったことが分かったとのことで、治療が始まったところでした。病名がわかり、治療が始まり、希望が見えてきたとのこと。
病院は活気があり、アットホームな感じもしてとてもよかったです。
主人の入院生活が長かったためにしょっちゅう病院には行っていましたが、この中に入っていくのは久しぶりの感覚です。

ミーティングのできるコーナーでみんなでコーヒーとケーキで、長い間時間を忘れて話していました。
カンファレンスをしている方たちがテーブルを使っていたことに気が付いた看護師さんが部屋からベッド用の
テーブルを持ってきてくれました。細かい心遣いのある病院でした。



今までボランティアで日本語の教師をしていたので、病気が治ったら、スカイプで教えたいと今後の希望を
話してくれました。



2クール目の治療が終わったところくらいにまたお会いしたいですね。来年の初めになるかしら・・・
第1期の治療が8クールもかかるという壮大な治療。少しずつ効果が表われているというので嬉しいです。



こういう時間が取れるのも、仕事をやめたからだと思います。
今マンションの自治会の案内で小学校の書写の授業が地域と学校が共に豊かな教育環境づくりということで
支援者を募集していて、少し心動いたのですが、毎週同じ時間が拘束されるということが、可能なのか
考えてしまいました。それにいったい書写の授業でどんな支援が必要なのだろうかと考えてしましました。
今せっかく自由になってスケジュールも埋まってきているので、どんな活動をするのかゆっくり考えてみようかと
ブレーキをかけてしまいました。

(写真はすべて10月14日の自然教育園の私の好きな花たちです。)
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スィーツのお店と新井薬師 ・・・・ Les Années Folles and Arai Yakushi

2018-11-04 23:28:16 | dish


家の周りには不思議なことにおいしいケーキ屋さんが
ありません。最寄駅3駅には風月堂とトリアノンがあるだけ・・
新宿まで行くしかありません。

西武新宿線沿線にありそうなので検索して良さそうなお店をみつけて
ヨガの後の散歩に続けて行きました。

駅は新井薬師。近くに公園や新井薬師があります。ポカポカいいお天気で
こちらをウォーキング。初めて下車する駅です。

なんだか急にシュークリームが食べたくなり、パティスリーレザネフォールと言うお店が
ヒットしました。行ってみると本店の恵比寿のとはまたちょっと違うケーキのようでした。

「Les Années Folles(レザネフォール)」とは、フランスの1920年代の時代を指す言葉。
19世紀末から第一次世界大戦前に、パリが繁栄した華やかな時代とその文化を「
Belle Époque(ベル・エポック)=良き時代」と呼びます。これに対して、第一次大戦後、
世界大恐慌が勃発するまでの1920年代は「狂乱の時代」とも呼ばれ、ピカソやコクトー、
ココシャネルといった数多くの文化人が活躍し、クラシックスタイルからモダンスタイルへ
移行していく自由と活気に満ちた繁栄の時代でした。

「温故知新」「レトロモダン」をテーマにパティシエ菊地賢一が様々なフランス菓子の伝統と
革新を表現していくパティスリー。


パティシエの菊地賢一さんのインタビュー記事がありました。
お菓子作りを追及してお店を持つことが大変なことであることがわかります。レストランでも同じですが
店を持つことってすごいことです。

新井薬師駅から5~6分近く歩いて、それこそ新井薬師公園の近くのマンションの1階にお店がありました。
イート・インできるスペースがあったので、コーヒーと焼き菓子をいただきました。
コーヒーはルンゴ・レジェロ。軽いさわやかな香りのものです。コーヒー好きですが、最近やっとアロマに
注目するようになりました。コーヒーとパリパリのアップルパイ。







お土産にはシュークリームと半生菓子のミモレットチーズケーキとショコラ。
入院中の友人のお見舞いに持っていく焼き菓子も買いました。











西荻のアテスウェイ、上野のイナムラ・ショウゾウ、実家のあった緑園都市のパティスリー・ラ・ベルデュールを
思い出させるお店です。下高井戸のノリエット、尾山台のAU BON VIEUX TEMPS オー・ボン・ヴュータン
も1回しか行ったことはないけどいいお店でした。銀座ウェスト、新橋小川軒のケーキもおいしいですよね。
デパートで買う時はキハチやトロワグロ、堂島ロールのお店など。
我が家のお気に入りはブール・ミッシュのシブースト、ウエストのシュークリーム、シェ・リュイのモンブラン等。
最近は堂島ロール、東京エントツ等のカスタードクリームのシンプルなお菓子が好きです。
アップルパイは諏訪のポミエ・・・を思い出してしまいました。








近くに新井薬師公園がありました。お弁当を食べる人、釣りを楽しむ人がいました。
道路を渡った反対側も公園で新井薬師に続いていました。
















11月になったせいかもう七五三のかわいい振袖の女の子がいました。走ってきて転んで母親に抱きついていました。
親にとって楽しい時期です。少しずつ成長していく子供を見るのは。





























真言宗 豊山派 新井山梅照院  通称 新井薬師

梅照院(ばいしょういん)のご本尊は、薬師如来(表側)と如意輪観音(裏側)の二仏一体で、高さ一寸六分(約5.5㎝)
のご尊像です。
鎌倉時代に活躍した武将、新田家ゆかりの守護仏であったと伝えられております。

寺伝によると、鎌倉末期、相模国(神奈川県)から行春(ぎょうしゅん)という沙門(僧)が新井の里を訪れます。
清水の湧き出るこの地こそ、真言密教の修行道場にふさわしいと感じて草庵を結びました。
この草庵は、徳川初期頃になると廃寺同然の荒れ果て様でありましたが、庭に植わる梅の古木が夜毎に光るという現象が
起こり、天正14年3月21日、梅の木を調べると薬師如来が現れました。
中野郷新井の郷士であり、元新田義興の臣 窪寺某が太田金山城に祀られていた尊像であることを確認し、薬師堂を建立
したのが梅照院のはじまりです。

不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、二代将軍秀忠公の第五子 和子の方(東福門院)が、患った悪質な眼病を祈願
して快癒したことから「目の薬師」、また、第五世玄鏡が如来の啓示によって秀れた小児薬を調整したことから「子育て薬師」
として、今日まで篤く信仰されております。





帰りにまたパティスリーの前を通って。













お土産のシュークリーム。


Nov.3 2018 Arai Yakushi




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秋深まる ・・・ feeling like autumn

2018-11-03 22:30:08 | wonderland
手荒れが始まってきて、かかともカサカサになってきました。
まだ夏掛け羽毛布団で、シャワーですが、そろそろ冬用の布団と
お風呂にしないといけない季節になってきました。
もう11月。季節がドンドン遅れてきているような気がします。

仕事を辞めてから心がけたいのがウォーキング。特にスマホの万歩計をOnにしたら、
どれくらい歩いたのか見るのが楽しみ。

昨日は買い物にかけて、歩いて落合野鳥の森公園とその隣に在る薬王院に
行って来ました。



氷川神社









七曲坂  ななまがりざか
 『豊多摩群誌』には「七囲(めぐ)り坂 馬場下通 御禁止(おとめ)山の麓にあり,大字下落合字丸山と
同本村の中間にあり。曲折七ヶ所より成れる坂道にして昔より本名称を得たるが,明治37年開窄して
交通に便せり」とある。落合では最も古い坂道のひとつで『若葉の梢』に「頼朝公和田山に御出陣の時,
軍勢をはかり給わんとて,七まがり坂を開かせ給へりと也。上は鼠山,西は玉川と猪の頭の落合に行き
柏木えもん桜へも近し」とある。 平成三年九月   東京都新宿区教育委員会



七曲り坂に吸い込まれて登ってしまったけれど、野鳥の森公園はもう少し先を曲がったところだったので
途中で引き返して進みました。







秋明菊も芙蓉ももう終わりのようでした。




野鳥の森公園の入口
















残念ながら、ヒヨの鳴き声しか聞こえませんでした。


隣が薬王院のようなのですが、さらに坂を上って行きました。なんだかものすごく古い大きな家が
ありその前のかなり敷地が建設計画が張ってあり造成中でしたが、老人ホーム建設予定となっていました。
左折するとお寺っぽい雰囲気、墓地がありました。一番上から薬王院に入っていく形になりました。



薬王院の方が珍しい鳥の鳴き声が聞こえました。



















ここが全部牡丹の花が咲くところのようです。




































*















瑠璃の字が入っています。




東長谷寺 薬王院
真言宗豊山派  瑠璃山 薬王院 医(醫)王寺

鎌倉時代に開山された、真言宗豊山派の寺院です。牡丹の名所として知られ、別名は牡丹寺です。

相模国(現在の神奈川県)大山寺を中興した願行上人によって創建
その後荒廃したが、江戸時代により実寿上人が中興した。しかし、その後の火災でまたも荒廃し
明治時代になってから再興された。なお、江戸時代までは近隣の下落合氷川神社の別当寺でもあった。

また同院には、鎌倉時代から室町時代の板碑も残されており、歴史的にも貴重である。

昭和に入り、1966年に本山の奈良・長谷寺から牡丹の株を100株ほど譲り受けて植えたのが、同院が
牡丹寺と呼ばれるようになったきっかけで、現在では1000株ほどの牡丹が植えられ、4月から5月の
シーズンになると多くの見物客が訪れる。その他、しだれ桜やツバキの木も植えられており、季節を問わず
花を楽しめる寺院となっている。





帰り道に歩道橋の上から将軍家の鷹狩や猪狩などの狩猟場で一帯を立ち入り禁止として「おとめ山(御留山、御禁止山)」
とよばれる緑の山を見ました。おとめ違いだったのね。



こちらは今来た瑠璃山。

帰りは西武新宿線を越え、神田川も越えて以前染の小道で来た引き染めの工房のところに出てきました。
通りがかった方に道を教えてもらって、一緒に歩いて行った場所です。それでもはっきり道を覚えていなくて、
やっと見覚えのある事務所があって、まちがってなかったことがわかり急な坂道を登り、いつも行っている
スーパーの横に出ました。後は買い物をして家に帰るだけ。

家から歩いて行ける範囲にこんな静かな歴史のあるところがあったのは驚きです。
次はおとめ山に行ってみようかしら・・夏は蛍で有名です。ここも最近整備された場所です。
漱石記念館とか新宿区の事業が進んでいます。


Nov.2  2018  Ochiai
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"Freshen Up"   Paul McCartney

2018-11-01 23:43:09 | music
11月1日は亡き主人の誕生日ですが、私に素晴らしいプレゼントがありました。
ポール・マッカートニィのコンサートです。






すてきな一日の予感・・・




夕方











































ドンドン期待が高まって、始まりました!













Hey Jude ではスマホの明かりをペンライトにして・・


Nov.1 2018 Tokyo Dome
Set List
A Hard Day’s Night
Junior’s Farm
Can’t Buy Me Love
Letting Go
Who Cares
Got to Get You into My Life
Come On to Me
Let Me Roll It
I’ve Got a Feeling
Let ‘Em In
My Valentine
1985
Maybe I’m Amazed
We Can Work It Out
In Spite of All the Danger
From Me to You
Love Me Do
Blackbird
Here Today
Queenie Eye
Lady Madonna
Eleanor Rigby
Fuh You
Being for the Benefit of Mr. Kite!
Something
Ob-La-Di, Ob-La-Da
Band on the Run
Back in the U.S.S.R.
Let It Be
Live and Let Die
Hey Jude

Encore:
I Saw Her Standing There
Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)
Helter Skelter
Golden Slumbers
Carry That Weight
The End

まだビートルズがデビューする前にレコーディングした曲、ジョージ・マーティンと初めてアビーロードスタジオで
レコーディングした曲とか古い曲からつい最近の新曲まで網羅していてすごかったです。古さは全く感じられない曲で
わかりやすくtouchyで誰もが楽しめる曲。時に哀愁を帯びたメロディ。Paulの世界に浸った一夜でした。
同時代を生きている同志みたいな感覚もありますが、昔若かった人も若い人も子供も楽しいんでいました。男性が多く
会社帰りのような人もいました。
日本語がますます増えて、楽しいステージです。短いコメントも役に立ちます。ジミヘンの曲をやったり、
ジミヘンがロンドンでデビューしたての頃の話も出ました。Black Bird がアメリカの公民権運動に呼応して
作られたものというのも初めて知りました。

TVで初日の様子が流れたとき、もうこれが最後かなとも思ったけど、ライブに行ったらとんでもなかった。
さいごにPaulはまた会おうねと言ったかしら?









Photo: MPL Communications / MJ Kim

バックバンドがすばらしく、今回はブラスが加わっていますが、他はいつもと同じメンバーです。
シェイクスピアのテンペストの最後のセリフに
私たちは夢の材料でできているという有名な言葉があるけれど
Paulは音楽でできていると思いました。もう音楽そのもの。音楽と同化している。

We are such stuff
As dreams are made on; and our little life
Is rounded with a sleep




いつもアンコールでやる曲がありました。
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