碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

ほっこりスローカーブの朝ドラ「ごちそうさん」

2013年11月06日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

日刊ゲンダイに連載している「TV見るべきものは!!」。

今週は、NHK朝ドラ「ごちそうさん」について書きました。


「ごちそうさん」はスローカーブ!?

NHK朝ドラ「ごちそうさん」、大健闘である。前作「あまちゃん」が国民的ドラマと呼ばれるほどに大化けしたので、後任としてのプレッシャーは相当強かったはずだ。しかし、蓋を開けてみれば週間視聴率は20%半ばをキープし、スタートから4週連続首位と絶好調だ。その理由は何なのか。

まずはヒロイン・め以子(杏)の人物像だ。子どもの頃から食べることに関しては飛びぬけているが、それ以外は「おいおい、大丈夫か?」と思ってしまうくらい普通の女性。どこにでもいそうだからこそ視聴者は親近感を覚え、構えずに見ることができる。

次に料理の魅力だ。朝ドラは朝食の時間であり、ご飯を食べるシーンが多いドラマは、見るだけで満腹になるのが欝陶しい。だが、そんな心配も不要だった。料理が美味そうなだけでなく、とにかく美しいのだ。だから“胃もたれ感”もない。これはフードスタイリスト・飯島奈美の手腕だろう。「かもめ食堂」などの映画や、東京ガスのCMなど、料理が重要な役割を果たす映像作品で頼りにされるのも当然だ。

そして何より、ドラマ全体が丁寧に、ゆったりと作られていることが大きい。「あまちゃん」が剛速球だったとすれば、「ごちそうさん」はほっこりしたスローカーブだ。今週から突入した大阪編で、そこにエグ味が加わるのも期待大である。

(日刊ゲンダイ 2013.11.05)

北海道新聞で、みのもんた「番組降板」問題について論評

2013年11月06日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。

今回は、みのもんた「番組降板」問題をめぐって書きました。


みのもんた「番組降板」問題を考える
不信感が蓄積、禊(みそぎ)に違和感

先月26日、みのもんたが番組降板会見を行った。「みのもんたの朝ズバッ!」と「みのもんたのサタデーずばッと」(TBS)から降りることにしたというのだ。

9月11日、警視庁は当時日本テレビ社員だったみのの次男を、泥酔した男性のキャッシュカードを使って現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕。みのは両番組への出演自粛を表明したが、その後のラジオで「私が何をやったわけでも何でもない」と発言。息子が大人で別人格であることを強調した。

確かに親と子どもの人格は別であり、どこまでが親の責任かを判断するのは難しい。しかし、それは一般の場合だ。メディアにおける「みのもんた」は単なるお父さんではない。報道番組のキャスターであり、事件や不祥事に際して、「きちんと責任をとりなさい!」と主張してきた人物だ。その影響力を考えればいわゆる「公人」である。問われる責任も一般とは異なるはずだ。

10月1日、警視庁は男性のバッグを盗んだ窃盗容疑で次男を再逮捕。本人はようやく容疑を認め、3日に処分保留のまま釈放。日本テレビは諭旨解雇処分を下した。

26日の会見は約70分で、その映像をネットで見ることができた。その第一印象は堂々の座長芝居であり、ワンマンショーだ。よく練られた構成が見事だった。しゃべる仕事と報道番組への熱意。以前とは一転して親の責任を痛感。自らに科した降板というつらい罰。バラエティーとラジオ番組も降板を申し入れたが慰留された等々。

降板理由は「親の責任」に終始していたが、それだけではないことを視聴者は分っている。社長を務める水道メーター会社が関わった談合問題、取材対象でもある政治家たちとの近い距離、度重なるセクハラ疑惑など、不信感の蓄積があるのだ。だからこそ、あくまでも親としての責任で降板することを印象付けたかったのがこの会見だった。

違和感は他にもある。みのは報道番組は降りるがバラエティーは続けると言う。理由は「バラエティーなら政治や年金問題を斬ることはないからだ」と。しかし、同じ画面から顔を出して「これはこれ」と言い張るのは単なるご都合主義だろう。また、これまでの経緯を踏まえ、あえて出演続行を決めた放送局はその理由をきちん説明する責任がある。

今回の会見で本人は一種の禊(みそぎ)を終えたと思っているかもしれないが、本当の判断は視聴者やリスナーに委ねられている。

(北海道新聞 2013年11月05日)