碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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朝ドラ「おむすび」における「ギャル」への違和感

2024年10月25日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

「ギャル」への違和感

 

今年度後半のNHK連続テレビ小説は「おむすび」である。前作「虎に翼」は実在のモデルがいた実録系だった。しかも大正生まれの女性であり、近い過去とはいえ一種の歴史物でもあった。

今回は架空の人物が主人公の現代物だ。実録系であれば、既にその人物に対する評価というものがあり、ドラマ化されても大きくズレることはない。だが、架空の人物の現代物は要注意だ。過去に迷走するばかりのヒロインが複数いたからだ。

さて、「おむすび」である。舞台は2004年の福岡県糸島郡だ。主人公は高校1年の米田結(橋本環奈)。両親と祖父母との5人暮しだが、最近、姉の歩(仲里依紗)が東京から戻って来た。

現在までに分かったのは、このドラマにはいくつかのテーマがあるということだ。1つが「食」。結の家は農家で、食べることも大好きだ。「おいしいもん食べたら悲しいこと、ちょっとは忘れられるけん」といったセリフが、食に関わる将来を暗示している。

次は「災害」だ。結は1995年の阪神淡路大震災の被災者でもある。神戸に住んでいたが、震災を機に父親の故郷である糸島に移り住んだ。災害に遭遇した人たちの過去と現在、さらに「これから」も描こうとしていることがうかがえる。

そして3番目のテーマが問題だ。何と「ギャル」である。ギャル文化の全盛期は90年代後半だ。ドラマの背景である2000年代半ばにもギャルはいたが、すでに往時の勢いはない。特に地方では微妙に浮いた存在と化していた。

そんなギャルが、ドラマでは何らかの価値観の「象徴」として扱われている。「自分がやりたいことを貫く意思」といったものだ。

しかし、どこか無理がある。「食」や「災害」とは異なり、ギャルに理屈抜きの拒否反応を示す視聴者は少なくないからだ。毎朝、あの独特の派手なメイクや「チョー受ける!」といった話し方、パラパラダンスなどに接することをストレスと感じる人もいるだろう。

サブカルチャーとしてある輝きをもってはいるが、それをメインカルチャーのように提示されることに違和感があるのだ。果たしてギャルで見る側の共感が得られるのか。物語の行方に注目だ。

(しんぶん赤旗「波動」2024.10.24)

 


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