今日は午後からさくら教室。それまでの間、かぐやと昨日の夜、途中となっていた金魚のみの写真集って話から始まった・・・・。こう言う時って言うのは、完全に仕事の話になるのだけれど、問題は一体誰と何をしているのか?って事をきちんと理解しないと、
長い付き合いの中では、より判り合う事もあるが、なぁなぁになっている・・・とも言える訳で・・・・。これもまた逆も真なり。それが、その都度一体どの程度の割合で起こり、それが一体どの程度の話の時に現れるのか?そして許せる範囲は何処まで?となる。
しかも、人はそう変わらない・・・と言うのなら、常にどんな時にそうなるのか?嫉妬、みたみ、欲望・・・・人を狂わす気持ちって言うのはいくらでもあって、前フリとしてそう言う事になってしまう前に、必ず前兆と言うものがある。
本来、いつものかぐやって言うのなら、相談相手として信用があるし、ある程度やって欲しい事を伝えると、それについて気が利く用意がされる事が多く、会社であったのなら有能な社員であろうと思う。
ただこれがひとたび夜叉が取り付いてしまうと、別にどうでも良いや・・・とあからさまに豹変する。これが夫婦の関係のような場合、第三者がいない分、向き合えば必ず取り返しの付かない事へ発展したり、逆に沈黙で応戦すると言った方法や、手法としてその案件での、
重みやその時のかぐやの夜叉具合で攻撃性が変わって来る。では本来のかぐやが優秀と判断してスタート・・・と考えると、0から一体どの位のプラスと考えられているか?となると、優秀って言うのは、普通とは明らかにポイントは違っていて、数字で判りやすくすると、
人より100ポイントプラスだったとする。つまりプラス100がかぐやの普通となる。だから普通の人が3プラスで良いじゃんって言われる所、かぐやは97だと、調子悪いのか?・・・になったりする。その癖、103なんて中途半端な数字では、100も103も大して変わらない。
期待されると言う事は常にこう言う事を意味する。これが俺からの目線だとして、今度はかぐやからの目線で考えた時に、俺は師匠であり、いつかその時が来た時に横に立つ・・・と言う態度で臨んでいる姿勢を崩さなければ、常に一定の距離感で何も起こらない。
しかしながら、それだけの関係性では、会社の上司と部下の関係のようで楽しくは無い。しかも、賃金を支払っても会社として社員として・・・って統率されていたりしても、信頼関係で成り立っているようなものは中々お目に掛かる事は少ない。
ならば無償の今、俺がそんなに多くを期待する事は無く、これだけはするな・・・って言う数少ないルールだけを守って貰えば良い。それは何かと言うと、侮辱に値する事は言うな、するな・・・・だけと言っても良い。
こんな単純な事だけなんだけれど、夜叉が取り付いた場合、いくらでもこのルールは破られる。賃金が発生しないと言う事がいかにもろいと言う事が判る。そうね、例えばプロ選手の契約更改なんてシーン。
明らかに本人はアップのつもりだったのに、不平不満って態度の場合、恐ろしい程の提示に開きがあったと考える。明らかにちょっとでは無い。それが現状維持なら、ん・・・って感じで、痛し痒しの来年頑張ります・・・って感じ。
それが思わぬ予想外にアップならホクホク顔になったり、いずれにせよ、これだけ人は賃金で表現を変える。なのに俺に関わっていても、お教室の手伝いなら、わずかながらの賃金も支払われるだろうが、かぐやのように弟子であって、尚且つ日々の事務や、
こう言った写真集なんかのレイアウトみたいな作成などには、賃金は発生しないし、尚且つねぎらいの言葉すら無い。仕事を発生する為の下準備ごときにいちいちそんなものは無い。こう言うと、タダでやって貰って礼儀無しって話に聞こえるだろうが、
プロと言うのは結果がすべて。それを練習を何十日やった・・・とか、こんなに努力したのに・・・なんて言うのはアマチュアの話で、どんなに努力をしようが、言い方を変えれば、プロなら努力しなくて良いから結果を出せ・・・になる。
そう言う姿勢を崩すな・・・それを実践している姿を昨晩も見せていて、そう言う態度で臨むのは俺とて大変なんだ・・・と説明もしたのに・・・・残念な事に何も伝わらなかった・・・・それ所か、もうやめておけ・・・と何度も何度もチャンスをあげたのに・・・・それでもやった。
では何故こんな事になるのか?と言うと、かぐやは本来アトリエに毎日いたい・・・いつか売れて・・・と願っている。まぁその気持ちは俺と一緒である。ほら困った時は検証・・・ではこうやってすごろくのように進んだ時に、一体何処でずれて行くか?になる。
あはははは。まっ簡単な話で、ヒントはここにある。俺達は・・・と始まった場合、一緒と言うセリフとなる。つまり同じ目線である。がしかし、俺は・・・と始まった場合、線を引いた。つまり確実に何か考えがあって引いた線・・・・。
ではこの場合どうするのか?になる。果たしてさっきと同じで良いのか?それならわざわざ言い方を変えないし、変えても意味が変わらないのなら、変える必要は無い。違うかな?その時に、かぐやが調子が良かった場合なら、じゃこれもやっとくね・・・だろうね。
そうね、良くも悪くも師匠でも上司でも無く、判ったぁぁって感じ。けれど、そんな事はどうでも良い。賃金が発生してもいないのに、働く者に言葉遣いまで要求しようとは思わないし、プロは結果がすべて・・・と言ったんだから、おっ、気が利くじゃんで構わない。
ただ問題なのは、俺が・・・と線を引いた時に、覚悟を持って、意見の違う時に、私は・・・・と自分を語るのなら、おっこれは・・・と、聞きたくなる。何かこいつは自分を語る・・・・ってね。けれど、その俺は・・・と引かれた線の内容の中に、これからかぐやの言わんと、
している否定に聞こえるような事や、意見の食い違い、いずれにせよ、どうせ聞かないんでしょ・・・あぁもう良いや・・・と言う態度が、返事一つがいつもと変わって来る・・・・そんな場合、最初の私は・・・の熱意どころか、逆に雑になる。
今、俺が真の上司なら、お前の話を聞こう・・・って態度で臨もうとするが、こう言う事には気をつけろ・・・の諸注意で、もう良いですって話すのを止めた・・・聞いてと言って、もう良いや・・・・一体何様だ?って話になる。
では、俺とかぐやでの話を理解出来たとしたら、かぐやと誰か・・・の俺以外の人に変えて考えれば、何が変わって来るか?俺はかぐやの師匠であって上の立場であったりする。年齢だけでも・・・けれど現実こう言う事が多々起きる。
では、俺抜きの第三者とのやり取りになった場合、かぐやさん、でも・・・と意見を言おうとした時に、もし自分と違う意見だったとして、俺にも威嚇のような態度で望む者が、果たして他の人にはやらない・・・なんて変えられると思うのか?って話。
それを出来る。と断言するような奴は俺は信用が出来ない。むしろそこで、気が付くような奴で無いと、人の上に立つとか、師匠と弟子とは?・・・修行って何だ?・・・と、日々成長しているとは思えない。単に腕だけの人としかね・・・。
常に作る前の姿勢、態度で作るものであって、そう言う人が作るから人に凄いって言われるものであって、小手先のテクニックや大きさで凄いって言わせるものでは無い。今追いかけて来る人達の作品の凄さは、作っている人達よりも、かぐやが一番脅威であろう。
だからこそ腕で追いかけて来るのだから、作る姿勢がみんなと違う・・・その態度が心技体に繋がって行く訳で。そんな事を安定的に出来無いかぐやにもどかしいし、そいつに教える側として情けない・・・指導力の無さの露呈であるし、今更ながら信頼関係の薄さに
ただただ呆然としてしまう・・・。こんな程度か・・・伝わっているのは・・・と。毎日毎日積み重ねた10何年はこの程度だったかとね。ただ人としてはその程度かも知れないが、腕だけはあるが・・・。つまり人として器が大きくなれば、腕はこうして認めているのに。
しかしながら、そのモザイクの腕を人として要求するのは、認められればられる程、人の評価なので押し潰されるプレッシャーになる。そもそもへたっぴには掛からないものなのに、凄い上手い・・・って言われれば言われるほどね・・・・。
その時の為の心作りなのに、ばかちんなのは、強い心を意固地や頑固、曲げない姿勢なんて思ったりする。その態度になってしまった時、夜叉が取り付いた瞬間である・・・と気が付けば良いのに、取り付かれた事にすら気が付かない・・・・。器が知れている。
そもそも名は体を現すと言う。親がその思想を盛り込んだ最初の儀式・・・・それが正論なら、逆も真なり。アイドルの名前にしよっと・・・って親なら、それはそれで世間に縛られない生き方って思想だろうし・・・そんな中、かぐやもしっかり親が付けてくれた名前の中に弓って
文字がある事を思い出せれば、意固地や頑固では折れてしまう木のようで、大木で台風でも倒れない根でも持っているならまだしも、そんなもろい心の根しか生えていないのなら、どんな風もしなやかにかわして、きちんと元通りに芯がある人になるべきで・・・。
千と千尋でも1万回見て勉強すんだなっ・・・って話。いくら俺が何回言っても信頼、信用が得られないのなら、宮崎さんのように成功者から習うんだな・・・ハクがいれば名前は大切なんだよ・・・・って教えてくれるんだけれどな・・・・あははははは。
いずれにせよ、何故こうなるか?は、俺とのバランス・・・もしかぐやが追い付いて来るスピードが速いのなら、俺との距離は狭まったはず。けれど、もし俺の成長が早かったとしたら?それがモザイクでは無く、心のね・・・・。いつか来る上に立つ準備として・・・。
これが理解出来たのなら、今度はかぐやと娘の関係なら、俺の役はかぐやになる・・・当然、きちんと俺と同等の指導力なら、かぐやに教わった生き様通りに生きる娘は期待出来るんだろうな・・・・なぁ、かぐや・・・となる。
ばかちん。お前程度の器じゃ預けられないなっ・・・って話。きちんと上に立つ者の娘・・・そう言う姿勢で取り組んで欲しい訳で・・・。それを理解出来ずして、棚に上げての指導、そして自分が出来もしないのに、俺の前でしかる・・・その程度の人間では情けない。
これからの未来の長い娘には、良き指導者で無ければ・・・・普通のお母さんなら、お前じゃなくても良い。変わりはいっぱいいる。かぐやの役目はかぐやが苦悩して行く姿を娘に見せ続ける事であり、もしその日がやって来たのなら・・・・
そう言う毎日があったから、普通とは違う毎日だったから、人とは違う未来になった・・・と自分の見て来た毎日を振り返る事が出来るだろうし、こんなの辛くて嫌だと言うのなら?・・・・さっさと卒業して適当に勤めれば良い。
けれど、それでも夢を追い掛けると言うのなら・・・・涙も流さず本気と言うな・・・ってな話ぃぃぃ。あははははは。そんな中、さくらに日高氏がやって来て・・・・ひとまず目地をして完成させた後は、ほぼほぼ雑談。
まずは日高氏がローマの件で、輸送する道具や材料のリストを作って来た・・・・ほぉぉぉ、やるじゃん。そもそもモンゴルの時は、そんな事、何にもしてくれなかった・・・・。おやまぁ、ちょっと進歩じゃん。
そもそも、こんな簡単に変わった理由は何だ?って事になると、人に寄っては、モンゴルとローマの魅力の違い?何て事じゃない?何て思う人もいるだろうが、確かにそんな事も理由の一つかも知れないが、俺が思うのは、俺が車を購入なんて・・・貧乏にも程がある。
・・・そう判断をしたろう・・・そもそも最近、仕事の事もあるから・・・と言う理由もあるが、頻繁に現れる気がしないかな?しかもすでに2回は昼飯の心配までしてくれて・・・そして追い討ちに、俺に制作、仕込み・・・そんな事だけに集中させてくんない?・・・・って一言。
明らかにこんな事も理由の1つと思われる。それによって、モンゴルの時とは違い、俺は仕込みに専念出来るし、その間の日々の生活に時間を割ける・・・つまりお教室合間に雑用・・・なんて事をしなくて良い訳で・・・。だから、気持ちに余裕がある。
さて、こう考えると、日高氏にはローマって仕事で今年の付き合いは終わるって感じで、豪華な締めだし・・・と考えると、かぐやは特に何も無く終わる・・・もしここにいつかは一緒に・・・って気持ちなら、日高氏にはこうした事が起こって、かぐやには・・・となると、
今や必ず教室の手伝いに来るとは限らない・・・そうなると、オルタの玄関の時のように、建築のように大きい仕事でもない限り、中々かぐやに仕事が無い・・・。ただ、そう言う仕事を獲得する為の営業みたいなもんで・・・・。
今のかぐやの仕事はほとんどが裏方・・・・修行みたいなもん。時に夜叉になるのも判らんでも無い・・・がしかし、売れればやれなくなる・・・売れていない今だから、出来る事・・・と考えれば、折角出来る・・・と考える事で前向きになるんだけれど・・・。
まっ、とても難しいんだけれど・・・。いずれにせよ、かぐやが元に戻れば日高氏がモンゴルと違う分、あの時よりも何かが進む・・・。俺はいつもの通りでも、今までよりも少しだけ以前と違う何かを誰かがしてくれると、以前よりも進化は簡単なのね・・・。
それが本気なんか出してくれるのなら・・・・どうなるか?そんなの見た事無いから・・・・俺にも判らない・・・・。