katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

表札の取り付けとシドさんのテーブル

2014-12-18 02:06:33 | モザイク作家

さて今日は親戚の紹介で作った表札の取り付け。そうね、アトリエから1時間位掛かる千葉県野田市へ・・・・。まぁ何も無く取り付けが出来れば30分程度の取り付けなんだけれど・・・・果てさて。

アトリエを8時ちょいに出発すると、結構道路工事があったりして・・・・更に取り付けしてしまうと、車でわざわざ観に行かないとならないから・・・と親戚に見せてから・・・と思って、見せてから・・・と到着すると10時過ぎ。伯父が俺も一緒に行くって言う事になり・・・。

って感じに、特に何も問題も無く、ひとまず喜んで頂き、あっと言う間に終了。伯父の家に戻る途中に清水公園なんて言葉が出て、ねぇ、お墓参りに行こうよ・・・って提案すると、あぁ良いよって。何かさ、ここまで来て素通りかよ・・・って枕元に爺さんに立たれてもさ。

そうね、昔こんな感じに、この仕事になってから伯父と2人でお墓参り・・・ってあったなぁ・・・って思い出した。そうね・・10年くらい前かな・・・なんで、どんな理由があって行ったんだっけな・・・・?

それはそうと、その位経つと、町並みだけじゃなくて、お墓も増えてて・・・何か雰囲気も変わっててね、それと本堂だっけ?何て言うのかな?・・・そっちは行った事が記憶に無かったが、折角だから・・・と案内されると、時代劇が出来るような立派な建物だった。

檀家さんがしっかりしてんのかな・・・雰囲気あったなぁ・・・格式って言うか・・・。そんなこんなで戻ってお昼をご馳走になる。そんな中、伯母と伯父と話す事になるのだけれど、先日頼まれてかぐやが送った写真集を見せたい人に送ったと言うのね・・・。

しかも、送る前に観てくれたらしく凄いね・・・って。そこでこんな話をしたのね。ねぇ2人共、親父に俺の事色々聞いたよね?しかも、先日の金魚の玄関のテレビも見てくれたんでしょ?と言うと、親父に聞いて観た・・・と言うのね。だよね・・・。

それでどうだった?って聞くと、凄かったよ・・・って言うのね。じゃ写真集観た感想は?と聞くと、凄かったって。一緒じゃんと言うと、ん・・・本当に凄いよ・・・お前は・・・って。って言うか、認識が変わったんでしょ?って切り返すと・・・・実は・・・・って。

だよね、そりゃ当たり前なのね。そもそも親父の持っている写真は昔のほんのわずか。そしてテレビやラジオ、そして新聞なんて感じの断片的なものばかり。そこに興味の沸くモチーフでもあれば良いが、何を聞いてもkatsuの話ね・・・って位で流されていた。

所がこうして知り合いの表札を生で見て、それによってかすかに興味を持って、14年間のダイジェストの写真を説明込みで見ると、観れば見るほど、凄さがより判った・・・って話だよね。あはははは、親父の説明なんてそんなもんなのね。しかも単なる親馬鹿だし。

そうね、こんな話は良くある事で、別に不思議じゃないのね。要するに落語とジャパネットの高田社長の比較みたいなもんでね、普通落語って言うのはファンが見たくてお金を出して観に行くもんなのね。こう言う場合、見たい人が観に行く。

では高田社長は?ほら番組の合間に不意をついた登場で、買う気なんて無くても、何と無く吸い込まれたように、買おうかな・・・って思ったりする。判るでしょ?違いが。つまり後者は営業・・・前者はファンって感じでしょ?それを何度と無く繰り返し、売れていない頃から、

面倒なんて見たりすると、タニマチやらご贔屓なんて名称が変わったりして・・・・要するに親父は親戚のような割と味方のような存在にも、買ってくれって訳でも無いのに、引き込むようなお話が出来なかったって事になる・・・・。

って事は、落語の券をタダで貰っても、行こうかな?辞めようかな?って位だったような・・・・見たくて見た訳でも無く、見て・・・って言われたから見たよ・・・って話だったんだよね?あはははは、そうやって聞くと、正直な2人は、そうだなっ・・・・って。

要するに売れるって言うのは、バスの伝達ゲームみたいな仕組みでね、前提は見せる芸はあっての話ではあるんだけれど、まず1列目の俺が演じると、何らかの俺に関する人の2列目が3列目に伝える・・・その2列目がここの場合、俺の親父だった・・・・。

そして全く興味を持って貰えなかった・・・って残念な話が、ほんの些細な事がたまたまこの表札に繋がった・・・・。それによって、今回は俺の1列目は何も変わっていないのに、2列目は変わったよね・・・・明らかに。すると、3列目にきちんと伝わる・・・。

少なくとも今までよりも良い環境は整った。更に伝える人が伝えようとする気持ちまで変わったのだから、伝わる熱意や温度までが変わって来る。そして決定的に違うのは、親父のような元職人と伯父のような元サラリーマンとでは話し方も聞かなくても全く違う・・・。

ただ、それが即効性のある抗生物質のような効き目があるか?となると、伯父にも言ったが、営業の人ならすぐ判るでしょ?目先の仕事にならないと・・・なんて奴ではすぐに仕事をくれないと・・・なんて態度になる。真の営業は今伝えたばかり・・・。

それを本当に必要になる時まで、記憶に残るものなら・・・その日が来ればきっと後からやって来る・・・じゃない?って言うと、そうだな・・・って。おっ、流石親父と違って伝わりやすくて有難い。まっ、当然な事を言っているんだから、通って当たり前だが。

そんな中、こんなものを見て貰おう・・・。

これは昔、金魚が入っていたんだけれど、このタイル・・・・俺が昔タイル屋だった頃張ったものなのね・・・。それを先日、いとこの姉ちゃんが、katsuがお風呂や玄関、キッチン・・・と張ってくれた時に、ここに張って良い?つてやったんだよ・・・・。

あんたこれやった時、うん、これで良いんだ・・・・って言ってたよ・・・って。今となっては、これの良さって何だろう?って気持ちになるが、その時の気持ちは判らないが、もし、くみ取るなら、あの頃もタイル屋として、何か変わった事探ししていたのね・・・。

ただ、お風呂も玄関ももキッチンも確かに変わった事をやってはいるが、きちんと糸を張って、水平だの垂直を気にしていた。けれど、ここだけは何と無くそう言う事を気にせずやった・・・・もはやタイル屋とは思えない・・・。

新しい事をする・・・・って言うのは、この位斬新で、既存のモノにとらわれない・・・そう言う事で、ただ姿勢は良いとして、今となってはそこに美しさが備わっていない。でも、ここで終わればそれまでだが、今の俺は続けているし、明らかに進歩がある。

けれどもし、あのままタイル屋を続けていたら?老眼で1mmを気にしていた仕事なんて果たして上手くなっただろうか?あはははは、言うまでも無く、ただのへっぽこである。こうした振り返りが出来て、初心に帰る事が出来たのも収穫である。

確かに仕事なのだし、生きるにはお金が必要だけれど、続ける為には精神的なもの・・・こう言う心を作るって言うのもとても大事な事なのね・・・。そして何がどう進歩していて、何が足らないのか?・・・・しっかり足元見てやって行かないとね・・・目先ばかり見ても、

仕方無いのね。そう言う点でも、これはこれで刺激になった・・・。そんなこんなで、貰い物をしたのを実家に届けて、アトリエに戻り、シドさんのテーブル。ちょっと新展開の場所に入った・・・・のね。

そんな中、ティーアートさんから荷物が届いていて、かぐやに連絡すると、メールにこれからもご指導、ご鞭撻・・・って入っていたよ・・・って。それは謝罪じゃないね。その後、電話を掛けて、料金を聞き振込みとなるが、特に何も無し。

まぁ、かぐやも私名義で連絡したから帰って来ただけだね・・・と感じたらしいが、全くその通り。けれど、特に態度なんてどうでも良く、注文のタイルさえ届けば別にどうでも良い。間違いなく、俺以外にはこう言う事は無いだろうから・・・ただそれだけの事。

そんな事よりも、今日の2列目の是正の方が大きかったんだろうね・・・・1つは何も変わりなく、1つは明らかに変わった・・・と言うより、変えて来た。ただそれだけの事であって、仕事の付き合いって言うのは、儲かればひるがえるだけ。だからまだまだ。

変えられる場所は変えれば良いし、儲かれば変わる所は構った時間と気持ちを無駄にするだけ。いずれにせよ、気持ちが刺激や是正の方の量が多かった分、心が削られない分、その心で進められる。

腕は俺を裏切る事は無いので、心さえしっかりしていれば、当然きちんと結果は付いて来る。

そんな中、少しだけイメージしている事をお話すると、シドさんには最初絨毯のような玄関を作らせて貰ったのね。それから何点も作らせて貰って・・・そんな中のまたの依頼。本来ならこの作品は新作なんだけれど、作品としての大きさはどんどんと小さくなっている。

そんな中、さっきの話のような書き換え的な話で、つまりこの新作で今までの古き腕を書き換えしたい訳で・・・。ただね、とも限らない・・・って考え方もあるじゃない?だって逆も真なりなのだから・・・。って事は継続ってのもありか・・・ってね。

けれどただの継続ってのは、進歩が無いし、ではどうやって進歩を見せるか?しかもこんな小さいスペースで・・・となる。そんな時は現状の検証ってみんなに教えているのだから・・・出会いは玄関、更に・・・と掘り下げた時、1つ引っ掛かる事があった・・・。

それは、以前青いテーブルを買って頂いたのだけれど、それは注文では無く、何と無くシドさんが好きと言った青い・・・って色合いで作っただけのもので、もしかすると唯一、買って頂いたもので注文では無い作品。

つまりそのテーブルを注文の作品に書き換えれば・・・と考えたのね。その時、常に新しいものは新しい・・・って考えでは無く、レトロを購入って場合、新しく購入しても古いものだったりする・・・・そう言う事もあったりするでしょ?

そこで、イメージは深海に沈没している海賊船の財宝のようなものなのね・・・・。だからこの青いタイルも錆びみたいなシミがあった感じでとても良いのね。しかも金もイブシって艶の無い金。ただシドさんが光った金も入れて・・・と言うので、入れるとどうなるか?

って言うと、意味があってやっている事なので、それを変えるって事は、味を変えるコショウみたいなもんで、この場合、古さがイブシだけの場合よりも月日が経っていない感じになる。沈んだ年月が若くなるって事かな?

それでね、この金とかがフリになるのだけれど、華やかだったものを意味する金のような財宝が、長い時間海の中で変化して行くのだけれど、最初から淡いコロのバックは、新品の時には淡くて金みたいに目立たないが、何年経ってもあの時のまま止まっている。

何も変わらずに・・・そんなイメージなのね。変わる事と変わらない事・・・・そして初心、これはあの時よりも凄い玄関になる図面でもある。もしこれが玄関だったら?・・・・凄いでしょ?出来るんだよね・・・これが・・・。そう言う機会があればね・・・・。

それと椎名林檎さんのcdを聞いている時に何と無く歌詞とか見ている時に、CCCDなんて文字が目に入って、かぐやに調べて貰うと、コピーガードが付いているcdの事らしく・・・・そりゃ面白い・・・と、この中に入れたのね。コピーされないように・・・ね。

俺の作品作りって言うのは、俺の身の回りに起こった事すべてが入っているのね・・・・つまりそれが、感じるって事で、感性なんて言うものはそう言うものなのかもね・・・まっ、売れたら言うと、後出しになるので、今からそう言っとかないとね・・・ねっ。

売れたらコードがあるんじゃなくて、コードなんて志があれば誰だって入れているはず。タビンチだけじゃない。ただ後は、そのコードを必要とするか?しないか?だけ。必要になればそのコードもお金になる・・・あはははは。

くだらないのね・・・・当たり前過ぎて。そもそもタイル屋辞めてやってんだから、ぺらっぺらの作品なんて作るはずは無いのね。こっちは生まれて初めて本気の14年なんだから。最初の37年なんて単なる俺の人生の前フリにしか過ぎない。

あんなものに価値無し。つくづく思う。何してたんだろう・・・とね。そして、売れて余裕が出来た時に、それがあって是正が出来て良かった・・・と振り返るとしよう・・・とね。

 


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