katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノアさん教室とシドさんのテーブル

2014-12-16 06:40:00 | モザイク教室

今日はノアさん教室。朝、草花の手入れって感じに、すっかり枯れ果てたものを切って・・・・プチ庭掃除みたいな・・・・。すると、角嶋の親父さんが来て、いつもなら金魚屋さんせいが出ますね・・・・と茶化されるのだけれど、今日は庭師が来たなっ・・・・って。

けれど、一緒にコーヒー飲む時間があって、シドさんの作品を見て、おっ頑張ってるね・・・って。そうね、本来親父は作家katsu好きだから、作品作っている事が好きなのね・・・・・先生katsuよりも・・・。

そんな中、ノアさんがやって来てお教室。すると、すぐに郵便物が届いて・・・・何かな?と名前を見ると・・・・かぐや。って事は中身は写真集。俺も観るのは初めてなので、楽しみで・・・・。

大きさは以前と違ってコンパクトで、しかしながら写真は多いし、俺が持っていない画像もあって・・・・こう言うの見ると、購入された方がまた誰か他の人に見せたりしてくれると、一目瞭然に伝わって行くだろうな・・・・と思いつつ、お教室中だったので、ノアさんにも・・・

と、見せると、先生ぃぃローマにも持って行きますよね?・・・・そうね、これは美術会社の社長さんにローマ大学の学長さんに渡して下さい・・・・と頼む価値あり・・・・だろうね。何しろ依頼された仕事は額なので、モザイクの腕を判断されるには不利。

ただこれがあれば、こんな人が作ったんだよ・・・・この額は・・・となれば、本来の腕をご理解して頂けるだろうし、モザイクの本場に見て頂けるものとしては悪くは無い。昔、イタリアに行った時に持って行ったアルバム1冊・・・一見同じ1冊じゃんと思われるが、

全く違っていて、昔の1冊はモザイクを始めたばかりの駆け出しの1冊。今度の1冊は14年間のダイジェスト・・・そう全部じゃなく、あくまで一部・・・・1冊の重みが全く違う・・・・。そんなものが異国に置いて来られる・・・・中々楽しみで面白い。

さて、それではお教室。そうね、ここまで出来るなら・・・・と、意識って話になる。例えばスカートの裾は布の幅が大きい。ならば、きっと重く、尚且つ重ければバサッって感じの擬音にならないかな?それがお腹のあたりになると、ヒラヒラッって感じに軽く思えない?

もしそう見えたのなら?手首のあたりは、フワッと・・・って思えない?つまり生地が変わったり、質感なんて意識するのなら、色だけに頼る作り方はしない。いかに形の違いを意識して出せるか?になる。

そもそもフラメンコを習っていた・・・・って言うのだから、着心地なんて言うのも俺よりも知っているはず。なら絶対に違う事は知っているはずなのね・・・すると、違います・・・・って。ほらね。それを意識するのね・・・・別にそんなのどうでも良い・・・って言わないのなら。

そして何故そんな指導をするのか?それはこれだけの作品を作れるようになったから・・・それだけのパーツを切れるようになったから・・・であって、満足なパーツを切れないようでは、こんな事は出来るはずも無いので全くいらない。

けれど、ここまでの作品となると、教える側も欲が出る。がしかし、これがみどりのように弟子になりたい・・・と名乗っているのなら、厳しくそんな事意識してやってみ・・・と言えるが、どうする?そんな事意識してやって見ますか?・・・・明らかに面倒な事になるけれど。

って言うような言い方になる。つまり方ややれよ・・・であり、方ややらなくても良い選択が残される・・・・だから今日の気分でやるも良し、やらぬも良しになる。もし全部受け入れてやったとしたら?全く自覚無く、弟子になりたいって言った人と一緒な感じの作品になる。

ただし、作品の内容はそうであっても、意識して手に入れたものでは無いので、本人の自覚無く上手い事になる。では今日はやって見る・・・今日はやらない・・・と気紛れで受け入れたとする。けれど、当然結果として成功もあるけれど失敗もする事になる。

そもそも全部受け入れない姿勢なら、同じ事を繰り返すのだから、終わる頃には1つだけのやり方の安定感を確実に手に入れられる。それを気紛れで手を出すのだから、確立として失敗も味わっても不思議じゃない。

問題はそこ。確かに失敗は必ずする。がしかし、その失敗を次の場所で成功したのなら?そしてそのやり方を手に入れたとしたら?痛い思いはしたが、取り返す何かを得た事になる。ただ、その失敗が1度なら良いが、3回、4回・・・となると、取り返しが付かない。

そこで新しい事はここで教えて、そのやり方で自宅に帰って1人で思い出しつつやる・・・こんな繰り返しをする。そうすると感で作っているのでは無く、アトリエでやった結果を先生としつつ、それを真似ながら進められるし、習ったのだから感では作っていない。

それをきちんと繰り返した結果がここまでのグレードになっているって事になる。けれど、この繰り返しは失敗のリスクを背負っている訳で・・・それが覚悟として持っているような弟子になりたい・・・って場合、やるしかない・・・って事になるが、

私は趣味だし・・・となると、1歩後退・・・って感じに思えない?では、こんな例を考えて貰いたい。例えば、私は東大に入りたい・・・・とか、プロの選手になりたい・・・とか、もし幼い頃に高い目標を掲げたとするじゃない?

そしたら、指導サイドはそれじゃみんなと一緒にゲームなんかやっててどうする。さぁやれよっ・・・もっと、もっと・・・ってならない?つまり目指すものが高ければ高いほど、目指さない人とは違う時間の使い方になる。

それじゃ同じ学校を目指す人や、同じプロ選手を目指す人達の中に入ったとしたら?ほら、みんな同じ事を最低やっていて、もっと言えば、その場所以外でも時間をそれに費やしている気がしない?でしょ?それがエリートだと思うのね・・・・。

ではそう言う意識はしていないが、それをやっている時間が大好きなんだぁ・・・・って続けていたとするじゃない?それも結局、時間を費やした分だけは上手さを手に入れているとは思うのね・・・・確かに。けれど問題はここから・・・。

けれど同じ事ばかりの繰り返しは慣れるのね・・・・つまり簡単になってしまうのね・・・何しろ反復なのだから。つまりチャレンジする・・・それは何を意味するか?つまり失敗するかも知れない・・・乗り越えられないかも知れない・・・そこと向き合う事で乗り越えると、

今までの自分では無い、1つ上に行ける・・・・けれど行けないと大きな傷として残る・・・そんなリスクにチャレンジ出来るかどうか?なのね。つまりリスクを負った新しい事をする・・・そう言う事がチャレンジって意味になる・・・・。

ではノアさんは?はら・・・チャレンジしてるじゃない?完全に前作よりも向上している。何もかも。けれど、別に何かを掲げてやっているって意識は何も無いって言っても良い。そうね、楽しく、面倒なんだけれど、何か素敵になっているから頑張るぅぅって感じなのね。

それでここまで来たんだけれど・・・・そんな中、日高氏がやって来た。そこでちょいと試したのね・・・ねぇ、ノアさんの作品批評してって。すると、えっ・・・批評って・・・・そんな事言われたって・・・・俺はモザイクなんて出来ないし・・・そんな凄いのって・・・・。

あはははは。予定通りのリアクション。じゃ2人共聞いて。さっきノアさんは弟子になりたい・・・って意識は無く、趣味と名乗ったとして、その趣味の作品を見て、日高氏は批評なんておこがましい・・・・って感じの表現をしたんだよね?

じゃこれがもし体験教室のモザイク初めての人だとしたら?・・・・って聞くと、それなら何とか俺でも出来ると思うけれど・・・上手いか下手かは別として・・・・あはははは、何とも正直で良い。しかも、質は別だよ・・・責めないでね・・・と予防接種のようなセリフ付き。

出揃ったね・・・・じゃまとめに入るね。では日高氏が出来ると思うって言った体験の人に、さっきの質問をしたとする・・・・ねぇ、貴方にとってモザイクって?・・・・まっほぼ趣味って答えになると思うのね・・・。多分ね。って事は、ノアさんと一緒になるよね?同じ趣味って。

すると、作っているノアさんは、そうですね・・・と言うのに、批評だけの日高氏が、それは違うだろっ・・・って言うのね。あらっ?何故?って言うと、だって・・・上手いじゃん・・・はいおしまい。出たのね・・・待ってました。そっか、日高氏は上手いと趣味じゃなくて、

自分が出来そうだと趣味を認めるって話なのね・・・あはははは。お見事。って事は、ここに通う人の大半は、日高氏には趣味に見えないって事になるよね・・・でしょ?あぁ、そうなるな・・・・なのに、作った本人は趣味なんだって・・・・。何か変じゃない?

だよな・・・。もう一度聞く。ノアさんの作品どう思う?・・・・だから上手いって。それって何か決まり無かったっけ?・・・・えっ?ほらぁ、日高氏が上手いって言ったら・・・・あっ、勝手に決められた、弟子にするって切符の話か・・・。そうね、それそれ。

つまりもうこの作品は終わればその権利がある・・・・そう言った事になるよね?・・・・そうだな・・・って。すると、ノアさんが喜んでいる。って事は、もし弟子になりたい・・・となると、残りの1つの約束・・・絶対にモザイクを辞めない・・・後はそれだけ。

みどりは名乗って意識して、ノアさんは意識も無く、同じような権利が発生・・・ではここも、こんな説明で・・・。私はプロになりたいって名乗って指名される入団の仕方と、えっ・・・俺?って指名される入団もある。世の中にはこうした事例はあるでしょ?

要するに意識しようがしまいが、オリジナルを目指し、継続して、常に向上する為のチャレンジ作品の大作に挑んでいる人・・・こう言う人は日高氏に上手いと評価されると権利があるかも・・・って言う話で、楽しみながらやっていようが、苦しいぃぃぃって作ろうが、

継続する・・・これが大事で、尚且つ出来れば結果が伴いたい・・・・って話。いずれにせよ、こんな話が出来るほど上手くなった・・・・・・そう思わせる位、教えるこちらサイドにもプレッシャーを掛けて来る、良い作品になっている・・・。

そんな後、シドさんのテーブル。

そんな中、かぐやに電話して写真集の連絡をして、その後、かぐやの娘も一緒に・・・更にせがれも入って・・・12時過ぎまで話していたのね・・・・。娘は今取り組んでいる作品について・・・せがれは宿題について・・・・。はぁ?あんたに何が話せるの?って、

あるとは思うけれど、さっきの日高氏の批評と一緒。判ろうが判らなかろうが、意見とは俺の考え。ならば思った事を言えば良い。それを受け入れろとは絶対に言わないし、むしろあっそれにする・・・って言われても困る。

そうでは無くて、話を聞き、何がどう悩んでいるのか?を聞いて、そう言う風にしたいのなら、こんなのもあるよね・・・こんな事もあるよね・・・って選択権を広げたりする事が俺の役目でね、そうね、言い方を変えれば、困ってくれれば、これ幸い。

たった数個の自分の考えの中でよりも、自分の考えた事がそんな数個の事だけで無く、もっとあるんだ・・・って事になれば、もっと困る事になったとしても、モノの考え方が理解出来れば、今回は困っても、次の機会に生かされるはず・・・・。

その1つが思い込まないって事。例えば夕日って赤でしょ?・・・・普通って言うのね。あはははは、流石にかぐやの娘である。そこでかぐやに、なぁ?夕日って何色?って聞くと、私はオレンジかな?って言うのね。流石に俺の弟子である。

勘違いされては困るが、オレンジの色を選んだって事では無く、聞かれた質問に、あくまで私は・・・・と言う前提で、しかも娘に答えるにしても・・・って姿勢の問題。いついかなる質問であっても、真摯に答える姿勢として、私はこう思う・・・と言えた事。

これが弟子に求める姿勢。結果の色なんて2の次。ではオレンジはかぐやと俺で2票。民主主義的には、多い方が普通なんで、オレンジも夕日に見える事になります・・・・って言うと、えっ・・・・ってなる。思い込んだ分、否定された感じになる・・・・。

じゃ、熱帯雨林は?って話を振って来るので、娘にお前の考える熱帯雨林を語ってみ?って言うと、えっと・・・うっそうとしていて・・・・・・ストップ。まず自分の言った言葉を忠実に理解する事。うっそうってどんな感じ?って聞くと、えっと深い緑で・・・・ストップ。

ねぇ、かぐや・・・うっそうとしているってどんな感じ?って同じ質問をすると、うっとうしい葉っぱとか、進行を邪魔しているような・・・とか、明らかにその言葉から伺えるのは、色では無く形から・・・・。何しろ俺達はモザイクの人なんでね・・・。

つまり色からとは限らないって事ね。形からも入れる。かぐやの娘は色重視ってスタートしようとしたって事なのね。では得意の色の話にすると、じゃ熱帯雨林色って何?って聞くと、えっと・・・葉っぱはこうで、水はこう・・生き物は派手で・・・ほぼほぼ決まっている。

あははは、正直な子だわっ。完全に質問は色には無いんじゃん。決まっているんじゃん。じゃそこを責めようかね・・・。ねぇそんな細かく決まっているような所を聞いて貰いたいんだけれど、本当にそれはそう言う色でお前は良いの?熱帯雨林になっている?

こんな言葉は、ファイナルアンサー?って言っているだけなんだけれど、自信があろうが無かろうが、決めたら覚悟なのね。つまり作品作りは後戻り出来ないものもあるのね・・・・やり直しが利かないものが・・・・。油絵なら塗り重ねすれば良いが、陶芸では無理。

すると、ん・・・って悩むのね。それならまだ考える余地ありだなっ・・・・そこに自信があったら、すかさず、はいだろ?けれど、自信なんて無くて良い。不安があった方が自然だし、人間っぽい。けれど、決断しないとならない。

そこでだ、悩んだら自分の今までやった事の検証。何故こうなっているのか?それさえブレ無ければ、趣旨は押し通せる。上っ面のテクニックで逃げようとせず、肉を切らせて骨を絶つ・・・・芯をぶれさせなければ良いと思うのね・・・・。しかもその芯って言うのは、

お前自身のね・・・けれど、その前に自分が無ければ、その芯自体が見つからないし、思い込んでこれしかないんだ・・・って言うのも、ただの頑固なだけ。さてどうする?なのね・・・・

さてそれではそんな事を踏まえて、質問に戻って、お前の考える熱帯雨林色って?何・・・どんな感じ?って話。じゃいつも後出しじゃんけんだと、公平じゃないんで、俺の考える熱帯雨林。まず形って言うのなら、人の介入を妨げるような上からは、コイル状の・・・

下はかぐやの言ったような、踏んでも踏んでも生い茂る草・・・しかもその形と言うのは得体の知れない、見た事の無いおどろおどろしい、何か毒でもありそうな、そんな形・・・どれもこれも。

更に色。それはもう毒々しい色・・・全てが濃く、もしそこにカエルがいるのなら、変な模様でしかも、ツルンじゃなくてぼこぼこしていて、そこにカエル色の緑と言うのなら、黒も混ざっているような色であったりするのなら、保護色じゃないと簡単に食べられちゃうから、

葉っぱも濃い色になる。けれど、それじゃ観る人にカエルって見えないと困るだろうから、赤い目だったりもするだろうね。すると、空はそれにも負けない青なんだけれど、太陽の日差しなんてもんが入って来るだろうから、大袈裟に赤だったり黄色だったり、

うざいくらいにしても良いかな・・・・それでね、それが普通に想像出来る範囲まで言ったら、良くある熱帯雨林に見える・・・そんな事に到達した・・・って事の確認を誰かに見て貰うのね・・・そこで見えるって事になったら、そこから自分らしさに変更する。

まっきちんとして崩す・・・が基本だから。じゃその中で、カエルがメインと言うのなら、そこをメインキャラになり得る、デザインに変更したり、葉っぱと言うのなら、すべてそのままでプリティな葉っぱにしたり、川と言うのなら、そこに有得ない生き物がいるとか、

空と言うのなら、葉っぱと空の切れ目が何か隠し絵になっているとか・・・・いずれにせよ、どんな熱帯雨林にしたいのか?になる。つまり、面白い熱帯雨林とか、お洒落な熱帯雨林とか、恐ろしい熱帯雨林とか・・・・前に何か言葉を付けるだけで、いくらでも変わる。

その言葉が複雑なほど難しく、その言葉が簡単なほど、やさしくなる気がしないかな?・・・・ただね、ここまでは言わなかったのね。何か答えを教えちゃうようで・・・・奴にはなぞ賭け程度で、困って欲しいのね・・・・悩んで・・・。自分で見つけて欲しいから・・・・。

答えじゃなくて考え方。いかに自分の思い描く事に近付けるか?って言うのは、自分のやろうとしている事は何か?を言えないと・・。口に出した事を掘り下げれば、自分の考えの出来る事と出来ない事、みたいなものがはっきりして来る。

ボヤッと・・・したまま作るんじゃなくて、ボヤッとを具体化する癖を付ける。それが出来れば、後は腕は反復練習のみ。慌てて育てるつもりは無いので、こうしたやり取りを何度も繰り返すだけ・・・・。機会を設けて貰った時間の中で・・・・。

常に質問は、貴方はどう思う?どんな些細な事でもね・・・・ただそれだけの事なんだけれど、普通ならウザッって話が、奴らにはまた・・・がある。って話。変わりもんなんだろうな・・・・あはははは。


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