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日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

水俣からの語り部

2016年11月30日 | 大分県
ある雑誌に、


「使わないと衰えるのは筋力や体力だけではありません。考える、気づくといった心のはたらきにもトレーニングが必要です。その中の一つに、自分を支えるさまざまな恩恵にも意識を向けていくといった心がけも大切です。」


「心は使えば使うほど豊かになる。」


といった言葉がありました。

「心のはたらきのトレーニング」なるほどそうだと考えさせられました。

心のはたらきの最終学習歴は永遠に終わることはないということなのです。
 

昨日、学校に水俣市より杉本肇さんが来られて、「水俣から未来へ」というテーマで講演をしていただきました。杉本さんは、水俣病の「語り部」として全国であの悲劇と悲劇から学んできたことを伝えてきています。

思慮深いという言葉が適切であるかどうかはわかりませんが、物事を冷静にとらえ、視野が広い方であることは、最初に校長室でお会いしたときから感じました。
 
 
水俣病が発生して60年が経過します。祖父母もご両親も水俣病で他界しました。その動乱の中で杉本さんは生き抜いてきました。

メチル水銀が工場排水とともに海に流れ、魚介類を人が食べることで、水俣病が発症しました。1万人以上の人が被害を受け、水俣病に認定された人も2000人を超えています。
 

お母さんがなくなってから、杉本さんの弟さんは、サロンパスを持っていたそうです。サロンパスは、母親の匂いだったのです。痛みを和らげるために、体のあちこちにサロンパスを貼ったお母さん。

そんな話を聞くとせつなくなります。
 

できることが限られていたお母さんからは、生前、3つのことを聞かされていたから、今の自分があると言います。


①困難なことをしっかり自分の中に受け入れなさい。
②希望を持ち続けなさい。
③何事にも「魂」を込めなさい。




病と闘っているお母さんから聞く言葉には、きっと杉本さんを強くさせる説得力があったと思います。
 

友だちにはチッソ工場で働いているお家の方もいます。近所にもいろんな立場の方が住んでいます。一番辛かったのは、「差別」であったといいます。

病気が発生したときは「うつる病気」と思われていたので、「隔離」されたり、「家の消毒」をさせられたりしました。その結果、患者さんや家族が「差別」を受けるといったことも多くありました。


そんな中、心の支えとなったのが、大学生などのボランティアだったそうです。私の姉も当時大学生として、大学の先生と医療ケアや聞き取り調査などで患者さんに寄り添っていたのが、思い出されます。
 

杉本さんは、

「わたしは、すべて不幸と思っていません。苦労から得ることも多かった。」

と言います。その言葉に重みがありました。

「感情論ではこの問題は解決しなかった。工場も恨まなかった。ただ、条件として、二度と同じあやまちを犯してはならないこと。」
 

強い思いに涙が出ました。
 

日本そして世界に目を向けると、利潤を追求するあまりに、環境を顧みない被害もあるでしょう。福島の原発問題もまだ爪痕を残したまま、後世に負の伝達をしようとしています。


予想を超える地震が頻発に発生する中、第2、第3の福島を産む可能性を秘めている中、わたしたちは生活をしています。
 

幸せは創るものであると思います。生活基盤と心、命のバランスをしっかり考えながら、「幸せを創っていく」道を拓いていかねばなりません。
 

人が傷ついたり、殺し合ったりする先の幸せはないのだと思います。

 

最後に生徒が杉本さんに「変わらないもの」の合唱を贈りました。生徒からのメッセージでした。