世界遺産の平城宮跡では第一次大極殿や朱雀門等の建物本体の復元だけでなく、建物や施設があった事が確認された場所には建物基壇が復元されています。復元された第一次大極殿から南東方向に徒歩10分前後進めば、第二次大極殿があった場所に基壇が復元されています。
聖武天皇の時代に平城京から転々と都が移されて、745年(天平17年)に紫香楽宮から平城京へ戻って造られたのが第二次大極殿です。その事から平城宮は奈良時代の前期と後期の姿に分かれて、異なった時期の大極殿2ヶ所ありました。そのため前期の大極殿を「第一次大極殿」、後期の大極殿を「第二次大極殿」と呼ばれてます。
復元された第二次大極殿の基壇を南側から見ました。左奥に見えるのが第一次大極殿です。
基壇の北側へ移動して南方向を見ました。写真奥には近鉄奈良線が通っていて、電車が通過して行きます。
復元された小子部門(的門)と呼ばれる門の基壇部分から南側、近鉄奈良線の方向を見ました。写真右端奥に見える屋根は朱雀門です。
聖武天皇の時代に平城京から転々と都が移されて、745年(天平17年)に紫香楽宮から平城京へ戻って造られたのが第二次大極殿です。その事から平城宮は奈良時代の前期と後期の姿に分かれて、異なった時期の大極殿2ヶ所ありました。そのため前期の大極殿を「第一次大極殿」、後期の大極殿を「第二次大極殿」と呼ばれてます。
復元された第二次大極殿の基壇を南側から見ました。左奥に見えるのが第一次大極殿です。
基壇の北側へ移動して南方向を見ました。写真奥には近鉄奈良線が通っていて、電車が通過して行きます。
復元された小子部門(的門)と呼ばれる門の基壇部分から南側、近鉄奈良線の方向を見ました。写真右端奥に見える屋根は朱雀門です。
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