昨日、旧日本海軍の戦闘機で紫電改の実物大模型が作成されて、一般公開されている旨の内容でアップいたしました。
北条鉄道の網引駅(あびきえき)の横に1945年3月(昭和20年)に、この紫電改のテスト飛行中に鶉野飛行場へ着陸体制に入った時、同機のエンジントラブルで失速して大惨事が起こった、との内容の掲示板が設置されています。
失速した紫電改は高度が下がってしまい、着陸態勢に入っていたので降ろしていた車輪を、当時は国鉄加古川線北条支線となっていた線路に引っかけて墜落しました。線路は北へ約1m程ズレた所へ、法華口駅(ほっけぐちえき)を5分遅れで満員の乗客を乗せた蒸気機関車がやって来て脱線転覆し、死者12名、重軽傷者104名を出す大惨事が起こりました。
現在は、この沿線付近では長閑な田園風景が広がる静かな場所になってますが、過去に起こった重大な出来事は決して風化させる事なく、後世に正しく伝える必要があると感じました。
現場近くの網引駅です。
脱線転覆したSL C12型の動輪です。この動輪は期間限定(撮影:2015年4月)でこの地へ里帰りをして展示されており、現在は在りません。
北条鉄道の網引駅(あびきえき)の横に1945年3月(昭和20年)に、この紫電改のテスト飛行中に鶉野飛行場へ着陸体制に入った時、同機のエンジントラブルで失速して大惨事が起こった、との内容の掲示板が設置されています。
失速した紫電改は高度が下がってしまい、着陸態勢に入っていたので降ろしていた車輪を、当時は国鉄加古川線北条支線となっていた線路に引っかけて墜落しました。線路は北へ約1m程ズレた所へ、法華口駅(ほっけぐちえき)を5分遅れで満員の乗客を乗せた蒸気機関車がやって来て脱線転覆し、死者12名、重軽傷者104名を出す大惨事が起こりました。
現在は、この沿線付近では長閑な田園風景が広がる静かな場所になってますが、過去に起こった重大な出来事は決して風化させる事なく、後世に正しく伝える必要があると感じました。
現場近くの網引駅です。
脱線転覆したSL C12型の動輪です。この動輪は期間限定(撮影:2015年4月)でこの地へ里帰りをして展示されており、現在は在りません。
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