これ迄に何度か訪れた兵庫県を走るローカル線で、北条鉄道の法華口駅(ほっけぐちえき)の近くに鶉野飛行場跡(滑走路長さ:1200m 幅:60m)が残っています。ここは空母に搭載する艦上攻撃機の訓練用飛行場として建設され、昭和18年10月に姫路海軍航空隊が開設されました。そして卒業と同時に前線部隊に約500名が配属されたようです。
昭和20年2月には姫路海軍航空隊の教官や訓練生から志願を募り、特別攻撃隊「白鷺隊(はくろたい)」が編成されました。白鷺隊の攻撃は5次まで行なわれて、63名(21機)が還らぬ人となりました。
この紫電改は旧日本海軍機でゼロ戦の後継機となる主力戦闘機として開発されました。ゼロ戦の弱点をカバーした傑作機と言われてましたが、量産体制が整って実戦に配備されたのは昭和20年に入ってからで、実戦投入が遅かった事から戦局の挽回には至りませんでした。
この戦闘機の実物大模型が作成されて、兵庫県の鶉野飛行場跡で毎月第1・第3日曜日に一般公開されています。公開日が好天ならば屋外展示を見ることができますが、天候不順でも滑走路端に建設されている備蓄倉庫内(写真後方の建物)で見学出来ます。公開日以外では倉庫内へ入る事は出来ませんが、シャッター越しに見学可能です。
この時のフォトチャンネルも新規追加致しました。
昭和20年2月には姫路海軍航空隊の教官や訓練生から志願を募り、特別攻撃隊「白鷺隊(はくろたい)」が編成されました。白鷺隊の攻撃は5次まで行なわれて、63名(21機)が還らぬ人となりました。
この紫電改は旧日本海軍機でゼロ戦の後継機となる主力戦闘機として開発されました。ゼロ戦の弱点をカバーした傑作機と言われてましたが、量産体制が整って実戦に配備されたのは昭和20年に入ってからで、実戦投入が遅かった事から戦局の挽回には至りませんでした。
この戦闘機の実物大模型が作成されて、兵庫県の鶉野飛行場跡で毎月第1・第3日曜日に一般公開されています。公開日が好天ならば屋外展示を見ることができますが、天候不順でも滑走路端に建設されている備蓄倉庫内(写真後方の建物)で見学出来ます。公開日以外では倉庫内へ入る事は出来ませんが、シャッター越しに見学可能です。
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