JR九州の久大本線 豊後森駅の隣接地に、扇形機関庫が残されているので行って来た時の様子をまとめました。(撮影:2014年8月3日)
機関庫の前には転車台も、残されています。この機関庫は京都の梅小路機関庫に匹敵する、九州では最大級の大きさを誇っていました。太平洋戦争中には戦時物資の輸送拠点となっていた事もあって、米軍の攻撃目標となり米軍機の機銃掃射を受けて、壁面には今も弾痕が残っています。
蒸気機関車の時代には方向転換の為に必要だった転車台や扇形機関庫等の設備ですが、旧国鉄の無煙化の推進によりディーゼル化が進み1970年に豊後森機関庫は廃止されました。
この豊後森機関庫はJR九州が所有してましたが、地元の玖珠町が買い取って管理してました。機関庫の建物本体は老朽化が進んでいて危険な事も有って、機関庫と転車台の手前にはロープが張られていて、内部への立ち入りは禁止されています。
当時内部の見学には玖珠町役場に許可申請が必要だった為、私は町役場に許可申請書を提出の上、許可を得て機関庫内部に入り撮影しました。又 内部への立ち入りには、危険防止の為ヘルメットの着用を求められました。
撮影当時ここを鉄道記念公園として整備する計画があるとの事を聞いてました。
現在の状況をネットで確認をすると、転車台や扇形機関庫等はそのままで、転車台の前には「蒸気機関車9600型」 愛称では「キューロク」とも呼ばれているSLが展示されてました。
2012年には、国の登録有形文化財に登録されています。
≪1≫豊後森機関庫の正面全景です。機関庫手前には転車台が有って、その手前には背丈の低い植え込みがありロープが張られていて、その先は立ち入り禁止になっています。
≪2≫転車台です。SLの全盛期には転車台もフル稼働してたんでしょうね。
≪3≫扇形機関庫の内部です。天井はSLの煙で煤けて真っ黒になってました。煙を建物外へ出す排煙ダクトも、当時のまま残っています。
≪4≫コンクリート壁面に複数個所のくぼみが見えますが、これは機銃掃射時の弾痕です。機関庫の正面から見て建物の裏の、左側壁面に残っていました。この機銃掃射によって職員の方が3名、亡くなられたようです。
機関庫の前には転車台も、残されています。この機関庫は京都の梅小路機関庫に匹敵する、九州では最大級の大きさを誇っていました。太平洋戦争中には戦時物資の輸送拠点となっていた事もあって、米軍の攻撃目標となり米軍機の機銃掃射を受けて、壁面には今も弾痕が残っています。
蒸気機関車の時代には方向転換の為に必要だった転車台や扇形機関庫等の設備ですが、旧国鉄の無煙化の推進によりディーゼル化が進み1970年に豊後森機関庫は廃止されました。
この豊後森機関庫はJR九州が所有してましたが、地元の玖珠町が買い取って管理してました。機関庫の建物本体は老朽化が進んでいて危険な事も有って、機関庫と転車台の手前にはロープが張られていて、内部への立ち入りは禁止されています。
当時内部の見学には玖珠町役場に許可申請が必要だった為、私は町役場に許可申請書を提出の上、許可を得て機関庫内部に入り撮影しました。又 内部への立ち入りには、危険防止の為ヘルメットの着用を求められました。
撮影当時ここを鉄道記念公園として整備する計画があるとの事を聞いてました。
現在の状況をネットで確認をすると、転車台や扇形機関庫等はそのままで、転車台の前には「蒸気機関車9600型」 愛称では「キューロク」とも呼ばれているSLが展示されてました。
2012年には、国の登録有形文化財に登録されています。
≪1≫豊後森機関庫の正面全景です。機関庫手前には転車台が有って、その手前には背丈の低い植え込みがありロープが張られていて、その先は立ち入り禁止になっています。
≪2≫転車台です。SLの全盛期には転車台もフル稼働してたんでしょうね。
≪3≫扇形機関庫の内部です。天井はSLの煙で煤けて真っ黒になってました。煙を建物外へ出す排煙ダクトも、当時のまま残っています。
≪4≫コンクリート壁面に複数個所のくぼみが見えますが、これは機銃掃射時の弾痕です。機関庫の正面から見て建物の裏の、左側壁面に残っていました。この機銃掃射によって職員の方が3名、亡くなられたようです。
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