学校を卒業した当時
、
京都市左京区浄土寺西田町に住んでいました.
大文字山が目の前に見えます.
その麓に銀閣寺がありました。
京都市電の電停、銀閣寺道(始発駅)がありました。
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市電が出発の時間待ちをしているときに
写真家の「木村伊兵衛」氏が
大きなギャジットバッグを
抱えた若い弟子を連れて
乗り込んできたことがありました。
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数カ月後「アサヒカメラ」の口絵にカラーで取材した
木村伊兵衛氏の銀閣寺が載っていました.
8月の大文字の送り火の、
大文字山(如意ケ岳)が見えます.
桜の小道「哲学の道」も近くにあります。
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8ミリカメラ(ヤシカ製)と三脚を持って,
銀閣寺に向かいました.
当時の京都市中は、静かで,
今のような観光客で溢れていませんでした.
どこの/名刹でも三脚は自由に持ち込めました.
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写真と違って,動画で銀閣寺を撮るのですから,
静かな動かない寺院をどう撮るか考えていました
銀閣寺の庭に池があります.
その池に,銀閣(観音殿)が映っています。
通りかかった学生さんに頼んで,
そばの小石を池の真ん中にソッと投げてもらいました
その小石で池に波紋が生じます.
ゆらゆらと波紋が広がったところで、
三脚に乗せた8ミリカメラを
銀閣にパンアップしました.
動きのあるカットが撮れました.
大阪,吹田丘陵で「万博」が開かれる前の
京都は静かでした.
1970年に「万博」が開かれると,
「万博」の帰りの人々がドッと京都に押し寄せたようです.
京都市内すべてが
日本歴史の「テーマパーク」ですから
、
京都の良さに気が付かれたようです.
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自由に三脚で写真を撮れた神社仏閣も、
それ以後、三脚禁止になり
不自由になりました。