文明開化の下で花開く、おしゃれな「帯〆」の文化
「帯〆」は、「組紐」で出来ています。
それまでの時代…組紐の使われ方は、武家や公家の支配層の文化そのものでもありました。
例えば、甲冑など、武具の構成部分の繋ぎや、書類を収める「文箱(ふばこ)」、日本刀の「飾りや下緒」、十手の「房」、鷹匠の「繋ぎの紐」など、およそ一般庶民とは無縁の文化でした。
しかし、明治維新という天下の大転換は、「廃刀令」とか「帯刀禁止令」と言われる禁止令で、侍の魂と言われる「刀の保持」を禁止したのです。侍は丸裸状態。
それまでは、侍のおかげで生活が成り立っていた「組紐」を生業としていた人々は窮地に立たされます。
そこで考えられたのが、現代に続く、おしゃれな「帯〆の文化」です。
しかし、「帯〆の文化」の花が咲くのは明治も後半になるのです。
それまでは、「丸くげ」と言われる綿を仕込んだ筒状の紐が主流で、組紐の帯〆の使用は一般的ではありませんでした。
ですから、江戸時代の「関東芸者の柳」や、「関西芸者のつの出し」なども、勿論帯〆は使いません。
但し、江戸時代の後期に、亀戸天神の「太鼓橋の渡り初め」で、深川の芸者衆が、柳結びを工夫して、現在の「お太鼓結び」で渡ったと言われていますから、お太鼓が崩れないために、紐が登場するのでしょうが…。
組紐が一般的になるのは、大正時代になってからだと思われます。
話の枕が永過ぎました。
そんなわけで、つの出し結びは江戸時代の帯結び。
古典舞踊の踊りに帯〆を使うのははふさわしくありません。
昭和の戦後に登場した六通の帯と、大正時代に始まった、大好きな帯〆で、「江戸時代のつの出し」を結んでと言われると、困ってしまうんです。
でも、六通では結べないのに、喜んで頂くので、結ぶ ❣ のですが、…(つづく)
広重の江戸百景「亀戸天神境内」お太鼓橋が見えます。
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