旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

243 まだまだ大阪

2012-03-17 07:47:32 | 散策
 動物園の反対側で、昼ごはんを食べました。表に関西ウオーク等3誌に載っていた記事を張り出してあるのに釣られて入りました。と言いますのも、これまで入ろうと思ったこの地域お店一般にサンプルがほこりも被って何十年もたった様なものばかりで入る気がしなかったのです。

 表に切り抜き写真が貼ってあって、店主も比較的に若い人で気が良さそうに見えたので、考えた末にお腹も減ったので入りました。焼酎をロックで注文して、あてに広島直送の牡蠣のフライが680円でしたから、丁度良いなと思いました。店主は思った通りの人で、多分お母さんと思われる、お婆さんと二人でやっていて、カウンターに座ったのでした。
 後から来て隣に座ったのが、今日が初めて集まった6人の団体で、自己紹介等聞きたく無くても聞こえて来ると言う狭い店でした。そのグループ、貧困を考えると言う大学のサークルグループで色々な学校から3対3の男女が集まっていました。なかなか上手いアプローチ?でした。

 昼食を終わり、また動物園前から通天閣に入って行く事になったのです。ここから急に人通りが多くなります。動物園前も通常の凄い下町ですが、今まで行った所とは比べられないでした。雑多な物を露店で売っている所を、さらに狭いガード下を抜けると幅3メートル足らずのジャンジャン横町となります。東京の人は先ずイメージがわかないと思いますが、上野のアメヤ横丁を狭くした短い道で生鮮食品を取り扱っていないと思って下さい。この前よりも天気が良いのか(今考えると空が見えてたか、多分アーケードがあった様に思います。)人が増えて串カツ屋さんとかに列を作って、広い将棋屋さんも混んでまして、大変な人人でした。

 そこで思い出したのが、高校時代アメリカのチャタヌーガから来た私の英語の先生が京都の河原町通りで人が多いのにビックリして今日は何のお祭りかと驚いていた事を思い出しました。ここを見たら、先ずビックリして何と言ったでしょう。

 ジャンジャン横町を過ぎると、少し広くなったいて若い労働者層の大阪人が着る服とかも売っていました。新世界は昔ルナパークと言われてビリケンさんが有名で幸福のシンボルとなっています。知りませんでしたが、新聞の記事に、そもそもビリケンさんは大阪に来る2年程前に銀座にあってと言われてまして一時期はやったそうです。通天閣が見える所迄来ると益々人が多くなって人の間を通って行く事になりました。

 反対に回っていますので、人通りも多いように感じたのですが、通天閣では一発屋と言ったら怒られるかも知れませんがこの頃めったに見なくなった安田サーカスの団長や黒ちゃんの等身大のマネキンがあり、団長のふんどしが色変わりしてました。又、この正面口は前回と同じく広くがらんとした通りで、スーパー等前回見て無い所を見ましたがさして新しい物は無かったでした。

 そこから電気屋さんの日本橋街になります。前の夫婦が歩きながら聞きたくもない大きな声をだして、口喧嘩をやっていました。東京の秋葉原とは規模的に大分違うのですが、昔と違うアニメを扱う店が目立ってきました。古いビルの高島屋別館の中に入ろうと思って、家具を売っていたのに今は結婚式の案内等やっているのに気付いて関係無いと止めました。

 黒門市場が右手にありましたので、2‐30年ぶりに行きました。日曜日でもあり東京の築地と違い活気に欠けるように思いました。テレビで見たふぐの店等ありましたが、美味しそうな豆腐を買って、そして違うお店で、色々な種類の白天を買って帰る事にしました。この辺は難波から少し外れているのでこの道路以外は日曜日と言う雰囲気でした。
 
  
コメント
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