京都三条から私にとって初めての地下鉄市営東西線に乗り、浜大津経由で三井寺迄行って来ました。電車は、座席が左に1席、右に2席と小さいもので、地上に出ると、昔のままの寂れた駅があり、人2人が並んで通るのも危ないと言うようなホームがありました。良く整備された地下部分と地上部分のギャプが大きくて、何故か景色も昭和にタイムスリップした様な気分になりました。
小さく電車を作ったのは 路面を走ってやっと分ったような気がしました。浜大津で乗り換える時に、駅員さんが親切に対応、久々と言うよりも忘れていた、滅多に無いのんびりとした日曜日の雰囲気の電車に乗りました。
三井寺駅では、今では珍しくなった駅員さんが改札手前に出て切符を受け取っていました。出ると直ぐに疏水の水路を見る事ができ、山に登って行くので川の上流になると勘違いしますが、そのまま下流に行くとトンネルになりました。その上から見た疏水が緑に囲まれ、なんとも言えず美しかったです。
歴史的風土特別保存地域になっている所にあった三尾神社を見学、室町時代に建てられたと言う建物は如何にも歴史を重ねてきた感じがしました。そこに神社内神社として安産、受験、交通安全と色々あり、ここにも日本人はこうやって宗教と言うものに接していくのが理解できた様な気がしました。
そこを過ぎると三井寺があり、受付で入場料500円を払って、受付の人にお昼予定の‘開運’と言う蕎麦屋の場所を確認しました。親切に、頂いた地図に丁寧にその場所を書いてくれました。そこはのんびりした別世界で、京都から逢坂山を越すだけで、人がとても温かく感じられました。
右手に1655年建立の西国薬師霊場48番札所となっている水観寺。古く長い石階段を上がると、西国札所巡りの白装束のグループの人達がいて、14番札所の観音堂の朱印をもらっていました。表に出て土産物屋さんで、気軽に気候の話しかけられ、本当に心穏やかになりました。
展望台に行き、琵琶湖を望む素晴らしい景色に感動。同じ敷地内に、ガラス張りの中に1752年に建立された、百体観音像が入ったお堂もありました。
そこを離れて暫く行くと、左奥、門の後ろに1601年に家康に寄進された三重塔等があり、石橋を超えると一切経蔵がありました。経を納める30cmばかりの箱が縦横に大きな八角輪蔵回転式になって、それを覆う屋根の上に、さらに建物の屋根があり、なかなかもって見ごたえがありました。
出て、左上を見ると、誰も行かない柵で囲われた大きな建物がありました。興味をそそられて行くと、何故か広い柵の中で優雅に孔雀が5‐6羽休んでいました。説明によると、孔雀明王は世の中の心身わたる諸毒を除くとする、仏教に関係するらしいそうです。
元に戻り、弁慶が実際に引いたと言う大きな‘引き摺り鐘’、今も水が湧いている天智、天武、持統3天皇が産湯に使った閼伽井屋という泉もありました。金堂には数々の仏像が並んであり、そのお堂1周に数々の仏像が鎮座していました。其れだけでも拝観料の500円の価値があると思いました。
(400字以上をカットして書きなおして、これで大体1300字です、原稿用紙3枚分1200字前後がコラムの制限字数で読みやすくなると言う事です。これからはそれを目安にします。)
小さく電車を作ったのは 路面を走ってやっと分ったような気がしました。浜大津で乗り換える時に、駅員さんが親切に対応、久々と言うよりも忘れていた、滅多に無いのんびりとした日曜日の雰囲気の電車に乗りました。
三井寺駅では、今では珍しくなった駅員さんが改札手前に出て切符を受け取っていました。出ると直ぐに疏水の水路を見る事ができ、山に登って行くので川の上流になると勘違いしますが、そのまま下流に行くとトンネルになりました。その上から見た疏水が緑に囲まれ、なんとも言えず美しかったです。
歴史的風土特別保存地域になっている所にあった三尾神社を見学、室町時代に建てられたと言う建物は如何にも歴史を重ねてきた感じがしました。そこに神社内神社として安産、受験、交通安全と色々あり、ここにも日本人はこうやって宗教と言うものに接していくのが理解できた様な気がしました。
そこを過ぎると三井寺があり、受付で入場料500円を払って、受付の人にお昼予定の‘開運’と言う蕎麦屋の場所を確認しました。親切に、頂いた地図に丁寧にその場所を書いてくれました。そこはのんびりした別世界で、京都から逢坂山を越すだけで、人がとても温かく感じられました。
右手に1655年建立の西国薬師霊場48番札所となっている水観寺。古く長い石階段を上がると、西国札所巡りの白装束のグループの人達がいて、14番札所の観音堂の朱印をもらっていました。表に出て土産物屋さんで、気軽に気候の話しかけられ、本当に心穏やかになりました。
展望台に行き、琵琶湖を望む素晴らしい景色に感動。同じ敷地内に、ガラス張りの中に1752年に建立された、百体観音像が入ったお堂もありました。
そこを離れて暫く行くと、左奥、門の後ろに1601年に家康に寄進された三重塔等があり、石橋を超えると一切経蔵がありました。経を納める30cmばかりの箱が縦横に大きな八角輪蔵回転式になって、それを覆う屋根の上に、さらに建物の屋根があり、なかなかもって見ごたえがありました。
出て、左上を見ると、誰も行かない柵で囲われた大きな建物がありました。興味をそそられて行くと、何故か広い柵の中で優雅に孔雀が5‐6羽休んでいました。説明によると、孔雀明王は世の中の心身わたる諸毒を除くとする、仏教に関係するらしいそうです。
元に戻り、弁慶が実際に引いたと言う大きな‘引き摺り鐘’、今も水が湧いている天智、天武、持統3天皇が産湯に使った閼伽井屋という泉もありました。金堂には数々の仏像が並んであり、そのお堂1周に数々の仏像が鎮座していました。其れだけでも拝観料の500円の価値があると思いました。
(400字以上をカットして書きなおして、これで大体1300字です、原稿用紙3枚分1200字前後がコラムの制限字数で読みやすくなると言う事です。これからはそれを目安にします。)