旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

400 短い方が...

2015-01-31 04:36:48 | 思い出日記
 このブログもいつまで持つかと思ったら、いつの間にか400話になりました。有難い事に凄い数の人が読んでくれているのでここまで続いて来たと思います。良く書く事があるなと、自分の事ですが驚きます。

 バーナード・ショは大変な筆まめで「今日は体力がないから長い手紙を書くがあしからず...」、菊池寛は短編小説なら我々は、どこの国にも負けないと豪語しました。ショーさんは短いほど難しいと、長い文の方が楽だと言っています。
又、用紙不足だった戦中と戦後の物不足は簡潔に省略して練り鍛えるというと努力が作家達に影響し、まさに山本周五郎は短編集を言葉を選んで書いて素晴らしい世界になりました。短いだけなら、日本は他に俳句、川柳と世界に誇れるものがあると思います。 

 自分のブログの文字数がどれ位が適当か、いつも悩んでいました。一度高校の古典の先生にお会いした時に聞く機会に恵まれました。その当時は1,500文字を目標に書いていました。不確かですが、楽に読める文字数が、新聞のコラムで1,100から200位であると聞いたと思います。
 以降、この数字を目標に書くと、結構な数を省く様になりました。目標がはっきりしたから、楽になったんだと思っています。

 「表現は本質的である方がいい、短ければ短いほどことばというものは光を増すのである。さらには論理に密着しつつ、感覚的である方がいい」司馬遼太郎は英国人の日本語の教師がいった話を伝聞で、「日本語はぜんぶ『名詞』でできあがっている」と、教えたそうです。彼は「そんなばかなことはないよ」と思ったが、直ぐに自信を失くしたと書いています。
 それは、『センテンス全体の「名詞化」と考えていい』、例えば「...という感じで。」とか「猫が好きです」を「猫が好き、ミタイで。」とことさら名詞化してしまうことです。私の文もこの事、「名詞化」を知らずに、多用しきた様に思います。

 日本語はもともと明晰よりも、どこかぼかしたあいまいさを加えるほうが、話し手にも聞き手にも安心感を感じさせ、動詞で言い切ると切り口上になるという感覚が伝統としてあるとしていますが、その通りと納得します。もち司馬さんの書いた事です。直ぐに気がつくところ、直ぐに考え直しをす事ができるというところは、並みの人間と違い脳が柔らかかったと思います。

 私の場合、ちょっと脳が柔らか過ぎと言うのも駄目かも知れないです。そんな訳で、どんな訳か無しで、これからも宜しくお願いします。 

 
 




 
コメント
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