スキーヤーの三浦雄一郎が滋賀の函館山に名前だけ覚えているエアーターンをデモンストレーションに来た時に、高校生の時に初めて見ました。まだスキーの初心者の私にとっては急な斜面も、あの低い山へよく来たなとズ~と思っています。
その雄一郎のお父さんは全く知りませんでしたが、息子が70歳でエベレスト登頂に成功した時、そのトレーニング方法、足首に1キロのおもりをつけて歩くことをやった人だったのです。
スキーを続けてきて、還暦を過ぎてから海外での滑降を始め、70歳の時にヒマラヤ、77歳でキリマンジャロを滑降する。88歳の時には、アルプス・オートルートの完全縦走を果たす。2004年2月には99歳でモンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降を成し遂げ、同年9月にはスポーツ振興への貢献により内閣総理大臣表彰を受けた。100歳では、アメリカのスノーバードで、親子孫曾孫の4世代での滑降を行い、話題を呼んだとは恥ずかしながら全く知らなかったです。
その三浦敬三さん100歳と日野原重明さん(聖路加病院元医院長)93歳が一生元気を実現する生き方の処方を書いた(100歳「元気生活」のススメ)という本に、
「そんな事は今までやっていないからできないではなく、やっていないからやろう」その考えの中で、
(1)「何か愛する事によって生き生きすること」
(2)クリエイティブに何かを生産することで生きがいを持つ
(3)逆境やストレスを受けても、それに耐えることによって成長すれば人の痛みや不幸が分かる様になる 耐え ることによって、人をいたわる、愛するという能力が養われ技術が磨かれていくのです。
人と接してその人が低姿勢で無理を承知で聞く態度、とりあえず無理を押し通す人等、遅くは無い、そんなことも考えていなかった自分を改めなくてはいけないと思います。
定年後、急にやることが無くなり色艶を失って「濡れ落ち葉」になってしまわないように、75歳からでもまだ使っていない遺伝子を使い始めれば、自分では気がつかなかった能力が開化するはずです。父親から1万6千、母親から1万6千、計3万2千の遺伝子が内在しているといいます。その遺伝子を使わずに死ぬことは両親に申し訳ないと思います。
新老人の75歳までは その準備期間と考え、今から「人生のモデルを見つけ」、先ず、足の衰えは外出嫌いになるから、今まで以上に歩くこと重点的にしていこうと思っています。
その雄一郎のお父さんは全く知りませんでしたが、息子が70歳でエベレスト登頂に成功した時、そのトレーニング方法、足首に1キロのおもりをつけて歩くことをやった人だったのです。
スキーを続けてきて、還暦を過ぎてから海外での滑降を始め、70歳の時にヒマラヤ、77歳でキリマンジャロを滑降する。88歳の時には、アルプス・オートルートの完全縦走を果たす。2004年2月には99歳でモンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降を成し遂げ、同年9月にはスポーツ振興への貢献により内閣総理大臣表彰を受けた。100歳では、アメリカのスノーバードで、親子孫曾孫の4世代での滑降を行い、話題を呼んだとは恥ずかしながら全く知らなかったです。
その三浦敬三さん100歳と日野原重明さん(聖路加病院元医院長)93歳が一生元気を実現する生き方の処方を書いた(100歳「元気生活」のススメ)という本に、
「そんな事は今までやっていないからできないではなく、やっていないからやろう」その考えの中で、
(1)「何か愛する事によって生き生きすること」
(2)クリエイティブに何かを生産することで生きがいを持つ
(3)逆境やストレスを受けても、それに耐えることによって成長すれば人の痛みや不幸が分かる様になる 耐え ることによって、人をいたわる、愛するという能力が養われ技術が磨かれていくのです。
人と接してその人が低姿勢で無理を承知で聞く態度、とりあえず無理を押し通す人等、遅くは無い、そんなことも考えていなかった自分を改めなくてはいけないと思います。
定年後、急にやることが無くなり色艶を失って「濡れ落ち葉」になってしまわないように、75歳からでもまだ使っていない遺伝子を使い始めれば、自分では気がつかなかった能力が開化するはずです。父親から1万6千、母親から1万6千、計3万2千の遺伝子が内在しているといいます。その遺伝子を使わずに死ぬことは両親に申し訳ないと思います。
新老人の75歳までは その準備期間と考え、今から「人生のモデルを見つけ」、先ず、足の衰えは外出嫌いになるから、今まで以上に歩くこと重点的にしていこうと思っています。