旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

578 思い出思い出し (毎週土曜日に更改しています)

2018-07-07 05:50:32 | ブログ
 友人のKathtyがアジア各地を巡り再び日本に来た時、50年前に海外に行く計画を立てていた事を改めて思い出しました。スイスから3ヶ月かけて日本に来ると言う凄いコースを取りました。しかし、彼女はインドに四度も行っているのに何故かホームシックになり、すごろくの様にスイスに一度帰ったそうです。そして又日本を目指し旅を続けると言う、マダマダ若い冒険心を持っていて素晴らしい事です。
 私が最初に海外に行くことを計画した時、もう50年程前の事になりました。1ドルが360円、計画した時に海外持ち出し金が、確か、500ドルと数万円、しかし実際持ち出した時点では、1,200ドルとなったと記憶しています。戦後はずーっと同じでした。
 1,200ドルを超えると持ち出してはいけないと、出国に際して、歯磨き粉の下の部分を開いて日本円を隠し持っていたのでした。しかし当時ソ連に入国する際は、国が変わると、そのような事は必要は無かったのでした。丸っ切り何も知らないですから、その時は緊張していたと思います。没収されていたら、その後は、人生どうなった事や、今ならその顔色で完全に見つかって没収されていたと思います。着いたナホトカは初めての外国、暗い雰囲気で町は舗装していない道路、板塀の家等、全体に貧しい雰囲気でした。

 そもそも海外の旅を計画した時、安く行けるという事で、先ず荷物を運ぶ日本郵船でオーストラリアを考えましたが、運行を止め諦めました。そして横浜から船に乗ってソ連のナホトカに行く欧州へ行くコースを発見、それを選びました。当時は殆どの旅人が欧州を目指してそのルートを取った思います。

 これも不確かとなりましたが、休学届を出しに行って、その理由(どんな理由を行ったかは不確か)では受けられない、辞めて行きなさい。復学させてあげるからと言われた、そこで無理やり福祉関係に事を勉強に行くと言ったと思いますと言ったと思います。それが旅の性質、目的と私の運命を変えました。
 昔は昔ですが、今回キャティは支払いの度に自分がと、その時、今度スイスに行った時に払ってくれたらいいよと言えば良かったと後から思いました。それは若い頃、バミューダでワインを年配の夫婦におごってもらった時、「自分達の年になったら同じようにすればいい」と言われた事を後から思い出したのでした。言ったらカッコいいのに、遅すぎます。何時も後から、やっぱり日本人、いえ私でした。今度、スイスに行った時、払って貰うつもりです。
コメント
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