この話と歴史?を競うマンション管理員を10年以上。そこで亡くなった方を忘れない為に何年も前から、その人たちの名前を書き始め、今やその数は18名。その多さにビックリします。年と共に思い出顔も出て来ない人も!淋しい事ですが、笑いも悲しみも生きている間が全て!死んだらお終いです。今を楽しく^^♪そんな事はこれポッチも考えもしなかった。そして若かっただけで、当然今よりズーと元気一杯のデンマークでは...
11月8日曇り/夕食時に最初に対応してくれた女性マリアン!気持ちの良い娘さんで、ただ、もう少し美人であれば言う事なしです。(済みません!その頃の私の初見です。)
デンマーク人らしく見えません、どちらかと言うとアメリカ人の勉強できると言う感じの娘でした。大変に世話になっているのに、好き勝手いっているのに驚きました。でもその表現で思い出しました😌
彼女はデンマーク語の学校へ行く事について熱心に説明してくれました。その後11時も過ぎたので眠かったのですが、みんなでテレビを見ました。(今や20時寝(^_-)-☆)
11月9日 晴れ 後 曇り 一時 雨/デンマークでは良くあり日。朝起きるのが辛くて朝食を食べずに、お陰で昼迄、空腹と戦う事になりました。(今や朝飯はキッチリ)部屋の電灯が点かないので、流石ボス何でもボスのベントが修理。そして私のデンマーク語の学校の心配をしてくれたのです。
昼食後、まず学校の案内所に行きました。しかし直ぐに入学費を支払う必要があり。もう一度行かなくてはならなかったのでした。
結局、3時頃に帰り、ヤンに仕事の内容を聞きましたが、仕事はここの少年たちの生活を2週間かけ観察すると言うものでした。勿論、無給であり自由にしてもかまわないと言うフリーな状態です。初めからそのつもりでしたから、有難く受け取ったのでした。(思うと珍しい東洋人と言う事で良かったのかも?)
皆がちょうど帰ってくる所で、早速、テレビを見ている間に入って行きました。昨日から知ってるカッスンと直ぐに親しくなりました。彼の家は貧しく、ここで世話になっていると言う事でした。(本人に聞いたのでは無く、マリアンから聞いた事です。)
みんなの話してる内容は、男女の関係についてです。ここデンマークではごく自然に話してることでした。16歳に女の子が私に堂々とセックスについて質問してくるのでした。私より、見かけもズート大人でした。賞味答えに窮した自分に、実際困ったものでした。
こんなにも誰彼と親切にされて良き時代にデンマークで過ごせた事に感謝と驚きです。(今や覚えているデンマーク語はボーダンハーズデイ ヤハデゴッツ=ごきげんいかが?私は元気!だけです)