旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

166 話 それから

2010-09-04 06:01:55 | 日記
  私が留守にしている間、色々あり一番の残念な事は父が亡くなった事でした。私の帰国を待って一番初めに納骨を終えたのでした。その時は、親兄弟みんな揃ったのでした。いつでも、みんなが揃うと言う事が当り前の事でしたが、先ずそこには父親がいなかったのでした。

 そして、私の帰国後殆ど話す間も無く、母親がハワイに行ったのでした。迎えを兼ねて羽田に、そして母が私にハワイが夢のような所で、花が綺麗だったと言う事を聞き、羽田から東京駅迄見送りました。
 しかし、それが最後の言葉になるとは知らずに、私は兄の家に宿泊して東京見学して帰るつもりでした。その夜に母が脳溢血で倒れて救急車で運ばれたと電話を受けました。驚いて急遽京都へ帰りました。
 
 半年の懸命な看病の為、何が楽しいか分からないですが、どうにか車椅子で笑う事が出来たのですが、実際、高熱が何ヶ月も続いた為に自分が誰か分からない有様でした。その母も退院の検査で急に体調がおかしくなり、生命維持装置を自ら止めざるを得なかったのです。今まで一生懸命してくれた先生に何も言えずに、今まで暖かかった手が数秒かからずに冷たくなった母の体を、あれだけ死と言うものを感じた事はなかったです。 

 それなら、帰って初めて母にあった時に‘父親に会いたかった’等母親に言わなければ良かったとズート思っています。2年の内に両親を父親57歳、翌年母親54歳、で亡くすとは今でも信じられません。死と言うものを、さんざん感じ実感しました。

 特に父親には、自分の生涯をテープに残していた物、大きなテープレコーダーを何度も入れ直して苦労してレコードに残していたのを縁起が悪いと加山雄三のレコードを上から被せました。
 何て言う事をしたのかと、暫くしてもう一度レコードに吹き込んでくれと父に言ったのですが、もう情熱を亡くしてしまったのでした。初めの数分だけ覚えていますが、縁起が良くないと消してしまったのですが、その時聞もう少し聞いていれば良かったのですが後の祭りです。そんな事もあって是非に父親に会い話したかったのでした。

 僅か2年の間に、父親の死に目に会えず、母親は充分に看病して、しかし息子と認識無しのまま死亡。人生色々あります。

 しかし、母親が亡くなってしまって、初めてこのブログで自分の世界一周の話を皆さんに両親に変わって聞いてもらった訳でこんなにも多くの方に見てもらって本当に感謝しています。
 大変有難う御座いました。

 常に200程の訪問を感謝しなくてはなりません。しかし、このまま終わるのも残念なので、私の東京散策日記を仲間に送っていたのを整理して続けたいと思います。コンピューターが駄目になった為に一度は諦めた文ですが、私のツタナイ物を残していた人がいてここに紹介したいと思いますので、それを整理して次回から伝えて行きたいと思います。又、付き合ってもらえれば幸せです。

 本当に有難う御座いました。良かったらこれから後も見て頂ければと思います。
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2 コメント

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コメント有難う御座います (筆者)
2010-10-09 07:08:31
読んで頂いて有難う御座います。コメントが少ないので今日気付きました。暖かいコメントに恐縮します。
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Unknown (ゆ~かり)
2010-10-08 18:41:02
初めてコメントいたします。
あまりにも切なくやさしいご家族のお話に
涙してしまいました。
人生にはいろいろありますね。
長く生きてきても、たいしてつらい目にあったこと
のない自分は幸せだと改めて思いました。
いつが別れになるかわからないですね。
今できることを精一杯やるしかないですね。
ありがとうございました。
また寄らせていただきます。
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