旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

553 時代を生きています (毎週土曜日に更改しています)

2018-01-06 05:34:29 | ブログ
それぞれに自分の時代を生きて来て、同じもの、生活する事等を多く共有する世代があります。ただ住んでいる地域が違うので、一概には言えないですが、共通するものを見聞きした世代があるに違いないです。私が分かりあうのは経験上、昭和29年(1954)生まれ位が精一杯かなとお思います。人それぞれに生き方は違いますが、同じ世代は共有する事が多いです。

 分かりやすいのがテレビ、初めてテレビが京の家に来た時(何故かそういうのが当時でした。私だけかも?)、襖を開けるとそこに、あれほど感激したことはありませんでした。それまでは近所の家に行き、部屋を暗くして、正座して座り、帰る時には「おやかまっさんどした」(お邪魔しました)と挨拶しと言って帰ったのでした。その家で、ある日、水を入れたような3段になった三色カラー版を画面に付けてカラーテレビ(?)を見せて貰ったのでした。実写版の鉄腕アトム等思い出が深いです。

 テレビがカラーに変わった時は、印象に残らず、薄型受像機になった事も丸っ切り何も感じないかったです。ブラウン管テレビは廃棄、今は古物商に行き。カラー以外のテレビが存在したとは信じないに違いない時代になりました。掃除機を初めて、忘れもしない敦賀にある親戚で見た時は、こんなもので掃除できるかと思いました。我が家の仕事上、車を使ったのですが後ろがホロであったのですが、それがワンボックスカーになった時も嬉しかったです。

 家の前の道路で、車がどぶ板にはまった事もあったのですが、その蛆が一杯住んでいる「どぶ」も埋められて、下水道ができました。車社会、今なら大変な工事でした。それができる前、向かいの家が水洗便所にする為、堀川迄下水道を自分の家の為だけに工事を行ったのは、やはり京都の財力を無視できないです。我家は財力なかったのでしょう。

 このように今、当然と思っているものが、便利にある状態に変わった時に生きて来て幸せだなと感じない訳にいかないです。オリンピックを境に急成長して、便利が当然になっている世代は、反面可愛そうだなと思う事もありあす。

 例えば、家の電気(蛍光灯)を点ける時、その当時は、蛍光灯の下まで行って、蛍光灯からぶら下がっている紐を引かなくてはならなかったのでした。未だにそんな家があるかも知れないですから御免なさい。この1例を考えると、全ての現在の生活は大きく変わりました。

 現在、タブレットについて行けなくて、スマホに四苦八苦の私ですが、今年も宜しくお願い致します。
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実写版鉄腕アトム (原始人)
2018-02-21 09:08:35
実写版鉄腕アトムも思い出が深いですか。
私の場合、本放送は、電波が届かず、雑誌の少年の紹介記事を同級生に見させてもらい、想像をたくましくしていました。
最近、紹介されるようになったようですが、軍服を着て隊員と敬礼する火星探検隊長のアトム少佐の見た事も無いコスチューム姿の写真に驚き、憧れたものです(笑)。
何しろ、ヘルメットをかぶり、レオタードのようなつなぎに、スカーフ、タイツ、ブーツでも驚きなのに、更に、その上に、飾緒のついた軍服を少年が着用するなど、考えた事もなく、引っ越して、再放送が見れた時は、夢中になってみました。隊員は、制服として、当然ズボンを穿いているのに、アトムはタイツで良いのか?と思ったりしながら。漫画では、アトムもズボンを穿いていましたしね。
後年、アトムを演じた方が、インタビューで、「当時、アトムのコスチュームを着るのは恥ずかしかった。」と答えていたそうで、「やはり!!」と思いました。屋外撮影も隋分ありましたからね。
私は、当時としては、彼は脚が異様?に長く、近未来的なコスチュームは、よく似合っていて、かっこ良いと羨ましかったですね(笑)。懐かしい思い出です。
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