旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

548 古希(毎週土曜日に更改しています)

2017-12-02 05:50:09 | ブログ
 鏡に映る自分の顔見て、いい男と納得、先日皆で写した写真を送って来たのを見て落胆、写真機の悪さを痛感しました。詩人の杜甫(とほ)が古来稀から、70才を古希、稀(まれ)な事として言った事らしいですが、その年が年々近づいてきます。これは誰でも言えることですから、若いと気にならなかったのです。現在古希を迎える人は、まれでは無く、普通の事となりました。

昔は、人生50年でしたが、かなり前に無事に通過して、この頃は「正月や冥途の一里塚、めでたくもありめでたくも無し」どちらかというと、めでたくない。この言葉が現実味を帯びてきました。自分が70才が手の届くところに来ているとは、信じられないです。未だ20代の事をしばしばやっています。

 「伸びるもの、つめと無精ひげ、他に無し」これが現在の心境です。今まで経験では接点が無かった仕事をしている人と出会うようになってみて、こうすれば良かった丸く収まると思う事が増えています。遅いですが、そうなっていないのが良く分かりました。マンション管理員の仕事で、チラシ配りの人の断り方も、気持ちを込めて「済みません。お断りしているんです」。
 今までだったら、どういったか忘れましたが、まーるく帰って頂けます。ゴミ収集の人にも、本当に有難く、当然ですが、挨拶は欠かしません。この前は、瓶出しの日に、中身を捨てずに出していた人がいまし。別にしていたのですが、親切に取って行ってくれたのです。何時も思うのですが、彼らは年取ったらどうするのかと余計な心配をするのでした。

 昔、正月三が日は、お店は何処も休み街で静寂が覆いかぶさるような状態でした。現在、その正月の雰囲気は全く無くなりました。昔、正月三が日、知りあいのアメリカ人家族がその期間、ものを替えずに苦労した事。それらは今は、夢を見ているようです。生まれて初めてピッツァを食べに北山通りに、アメリカの女性に連れて行って貰った事がありました。美味しいと勧められたのですが、不味かった思い出があります。その時、京都の普通の家庭に育ってチーズはその時まで、食べた思い出はありませんから当然と思います。共に、高校時代の事でした。

 その頃できた、ライブハウス「十徳」は、今は表にビラ、昼見たので、辺りも変わりました。友人宅の蔵の中を改造した土間でやっていて、山科に住んでいた高校の同級生が行っていましたので私も行った思い出があります。

 昔の事、色々思い出します。若いと思っても、年取ったなと改めて思います。

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