旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

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半世紀前の事....

316 地蔵盆

2013-08-24 05:32:30 | 思い出日記
 関東ではポピュラーでないですが、毎年8月の23,24日と子供を中心に京都の各町内でお地蔵さんをまつる地蔵盆が開催されます。年に一回町内に祭ってあるお地蔵さん前に、路地や駐車場にシートを敷きテントを立てて子供たちがその前で遊ぶのです。(市内の町内は1つ1つが大きさがほぼ同じです)。
 小学生の頃、24日になると地蔵盆の楽しさと、もう直ぐ夏休みが終わると、宿題がまだ終わっていので焦りました。結局いつも学校が始まる前に半泣きで状態で兄の救援を得、どうにか新学期を迎えました。

 去年、伏見の兄の家に寄る時に丁度地蔵盆、その時は暑くて昔の実家の町内に行けなかった事を後になって残念な思いをしました。
 我が小伝馬町では、思い出すのは、毎年各家を順番に廻る様になっていました。表を開けて、家によっては、土間にゴザを敷き、特に格子戸を取り払って誰でも入れる様にしていました。
 大きな数珠を皆で回しながら‘なんまんだぶつ、なんまんだぶつ’と大きな声で一周すると、一つある大き目の数珠が回ってきて、‘まんまんさんあん’と言ってお辞儀をするのでした。確か、お供え物を皆に配ったと思います。実家が無くなっていますが、一度昔の町内に行って見ようと思っています。

 これに限らず、朝にお坊さん(私はおーおさんと言ってました)が托鉢に来たりして、そう言う意味で宗教が身近なものであったと思います。どこの町内にもお地蔵さんがあり、それが普通と思っていました。大阪市郊外に住むようになって普通ではないと気づきました。京都も今や子供が少なくなり、高齢化が進んでどうなっている事やら興味があります。新聞に本来2日間あったのを1日するとか、お地蔵さんの維持が大変だと、近くのお寺に預け、絵や写真をまつり簡略化している所もあると書いてありました。
 我が町内のお地蔵さんを備え付けてある家が、改築すると言う事で台座の前の部分をカットしました。そんな事は許されるのかなと、子供心に非常に淋しく思った事があります。

 大文字にしても、我が家から見て、丁度、大の字、舟形や他の字はハッキリ見えるのですが、右大文字の右側にマンションが建って、ビルの左に見える様になったしまいました。
 モットビックリしたのは、欧州から帰って堀川丸太町を何度も車で通ったのですが、ある時に信号で停まった時に横を見るとそこが見慣れない高い高いホテルがあった事が印象に残っています。現在、そのホテルも無くなって、更地になっていますが、今度どんなビルができるか心配しています。

 今でこそ、高い建物がそこら中にありますが、当時は我が母校の待賢小学校と我が家が3階建てでした。府庁前に共産党の確か我が家より高い5階建ての鉄筋ビルが建ったので共産党嫌いになりました。でも、そんな事は忘れていて今回の参院選で投票しました。

 でも、まだ高い建物が制限してるし、京家も又復活しているという事でそれなりに努力して保存しているのは良いと思いましょう。
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