我が家は宗教に関して大らかでした。と言うよりバラバラで、もっと言えば、多神教で典型的な日本家族でした。私はと言うと、ある年、元旦に、キリスト教の元旦礼拝、京都の八坂神社、そして知恩院と1日初もうでに出かけ、日本人を存分に感じました。
昔、我が家では、お祖父さんの月命日にはお寺さんを家に、日々のお参りには仏壇、金光さんとま光さん、ここまで来ると典型的とは言えないでした。以前にお話ししたように、一部を除く、殆どどんな宗教でも受付ました。そのお陰かどうか、両親は若くして天に召されました。
我が家は、真宗ですが私の名前は金光さんに名付けられました。その名が、平凡で嫌いでした。今は違いますが、若かりし頃、外国に行ってfirst nameで呼ばれると馬鹿にされた様に感じたのです。
良く母親に連れられて、京の船岡山にある金光教の教会に子供の時に行きました。石垣のある小さな所だったと記憶していますが、子供心に何も分からずに‘高ヶ天原にかしこみかしこももおすー'と言っていた事を思い出します。兄が北山バプテスト教会に行っていたお陰で、アメリカ人の知人ができてその日本語教師のアルバイトをやりました。
そしてロンドンにいた時に、教会にも良く行きました。どんな教会か忘れましたが、お陰で、教会の若い夫婦に家に夕食に誘われました。
それとは関係無く、ピッカデリ-サーカスの近くの喫茶店にスイス人の友人が働いていて何時間も粘っていた事等も思い出します。プライベートスクールで英語を習っていて、日本にいた時と同様に騒いでいた事。同時期に行っていたパブリックスクールでは日本人の女の子が教師に焦がれて、結婚を迫った事がありました。その教師が男しか愛せないと言うので、必死で女を愛するようにしてあげると言っていたのを思い出します。今なら日本でも同性愛も普通になって来て、もっと理解ができたと思います。当時とすればその世界の事は分らなかったと思います。私も分からなかった。
既に話した事が多くなるのを許してもらえれば、今もどう考えても自分がドジだと思うのがニューヨークからワシントンに向かう客が5人程のバスでパスポートを盗られた事です。お金はいいのですが、パスポートは数々の出入国のスタンプを押してあるもので、それさえあればモット旅行記が書けたと思い残念です。その当時世話になったワシントンのYMCAの人の名前を整理していての書いたのが見つかったのでした。
当時は奈落の底に落ちた、その失意のまま、ニュウオーリンズに行きまして、知人宅で 今考えても生涯最高に一番ぐっすりと長く眠った事を思い出します。その家の押し入れに拳銃があり、気軽に見せてくれて銃社会を感じました。何故か、その時に頂いた名誉市民証は懐かしい思い出です。実際は世話になった方が、市役所の名誉市民を与える所に勤めていたのです<m(__)m>
あれやこれやと年の初めに思い出した事を書きました。
昔、我が家では、お祖父さんの月命日にはお寺さんを家に、日々のお参りには仏壇、金光さんとま光さん、ここまで来ると典型的とは言えないでした。以前にお話ししたように、一部を除く、殆どどんな宗教でも受付ました。そのお陰かどうか、両親は若くして天に召されました。
我が家は、真宗ですが私の名前は金光さんに名付けられました。その名が、平凡で嫌いでした。今は違いますが、若かりし頃、外国に行ってfirst nameで呼ばれると馬鹿にされた様に感じたのです。
良く母親に連れられて、京の船岡山にある金光教の教会に子供の時に行きました。石垣のある小さな所だったと記憶していますが、子供心に何も分からずに‘高ヶ天原にかしこみかしこももおすー'と言っていた事を思い出します。兄が北山バプテスト教会に行っていたお陰で、アメリカ人の知人ができてその日本語教師のアルバイトをやりました。
そしてロンドンにいた時に、教会にも良く行きました。どんな教会か忘れましたが、お陰で、教会の若い夫婦に家に夕食に誘われました。
それとは関係無く、ピッカデリ-サーカスの近くの喫茶店にスイス人の友人が働いていて何時間も粘っていた事等も思い出します。プライベートスクールで英語を習っていて、日本にいた時と同様に騒いでいた事。同時期に行っていたパブリックスクールでは日本人の女の子が教師に焦がれて、結婚を迫った事がありました。その教師が男しか愛せないと言うので、必死で女を愛するようにしてあげると言っていたのを思い出します。今なら日本でも同性愛も普通になって来て、もっと理解ができたと思います。当時とすればその世界の事は分らなかったと思います。私も分からなかった。
既に話した事が多くなるのを許してもらえれば、今もどう考えても自分がドジだと思うのがニューヨークからワシントンに向かう客が5人程のバスでパスポートを盗られた事です。お金はいいのですが、パスポートは数々の出入国のスタンプを押してあるもので、それさえあればモット旅行記が書けたと思い残念です。その当時世話になったワシントンのYMCAの人の名前を整理していての書いたのが見つかったのでした。
当時は奈落の底に落ちた、その失意のまま、ニュウオーリンズに行きまして、知人宅で 今考えても生涯最高に一番ぐっすりと長く眠った事を思い出します。その家の押し入れに拳銃があり、気軽に見せてくれて銃社会を感じました。何故か、その時に頂いた名誉市民証は懐かしい思い出です。実際は世話になった方が、市役所の名誉市民を与える所に勤めていたのです<m(__)m>
あれやこれやと年の初めに思い出した事を書きました。
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