『単純な魂の鏡』には、教会当局から異端の嫌疑を掛けられやすい詞章が少なくないことは、マルグリット・ポレート自身、よく自覚していた。しかし、その大胆な表現がそこから溢れ出てくる魂の経験の真正性は、虚心坦懐に彼女の述作を読む人たちの中に、当時からよき理解者を見出していた。その中には、当代一流の神学者たちも含まれていた。マルグリットの死後も、『鏡』は、数世紀に渡って、国境と言語的障壁とを越えて、ヨーロッパ諸国で熱心な読者によって読み継がれていく。
しかし、魂の本質的な自由を訴えるマルグリットの神秘主義思想の眩いばかりの結晶である『魂』は、個人の精神の自由と独立を高らかに掲げる哲学が登場する近代に入り、忘却の淵に沈んでしまう。このフランス中世文学の忘れられた精華が埃を被った古文書の間から再び見出されたのは、一八六七年のことにすぎない。しかも、その発見者 Francesco Töldi は、『鏡』の作者を、誤ってハンガリーの聖マルガリタに帰してしまう。『鏡』の真の作者はマルグリット・ポレートであることがイタリア人学者 Romana Guarinieri によって確証されたのは、それからさらに八十年近く後の一九四六年のことである(この中世神秘主義研究の大家が一九六五年に出版した、自由心霊派についての浩瀚な研究書の中のマルグリット・ポレートに割かれた三百五十頁近い章節は、今日でもすべてのマルグリット・ポレート研究者が必ず参照しなければならない基礎文献である)。
教会当局がマルグリットの『鏡』に異端の嫌疑を掛けたのは、その内容を当時急速にヨーロッパに広まりつつあった異端運動「自由心霊派」の教説と重ねあわせて見ていたからである。嫌疑の対象となった主張のうち、とりわけ危険だと当局に睨まれたのは、「魂の本質的な自由」という主張であった。しかも、この主張が、主張する当の本人によってそう考えられ、生きられただけでなく、世俗の言語で表現されていることに当局は脅威を感じたのである。これには、十三世紀からヨーロッパで進行しつつあった宗教革命の推進力となっていた中心的テーゼが、貧困のテーゼと不可分の関係にある自由のテーゼだったということも背景としてある。いつの時代でも、民衆たちからの自由の要求は、権力者たちにとってはこの上なくおぞましいものである。教会当局もまた、あらゆる手段を使って自由を求める宗教革命運動を弾圧しようとしたことは言うまでもない。
しかし、マルグリットの主張は、いわば魂の最終的永久革命論なのであって、社会秩序や道徳を無視するものではなかった。『鏡』の中で、解放された魂が道徳を構成する諸徳目に暇を取らせるのは、最初から道徳を無視するためではなく、諸徳目をまず謙虚に順守し、十全にその要求を満たした上で、それらを超越した段階に魂が〈愛〉の導きによって到達したからであった。その至高の審級に至るまでの階梯をマルグリットは七段階に分け、そのそれぞれについて記述を与えているばかりでなく、自らの魂も、「彷徨えるもの」であったとき、まさにそれらの階梯を辿ったことを認めてもいるのである。