十三世紀から十四世紀にかけて、西洋キリスト教社会をそれまで支配してきた宗教的権威は、燎原の火のごとくに急速にヨーロッパ各地に広がっていく異端運動によって、その根底から揺るがされていく。ライン河・フランドル地方神秘主義の歴史的展開も、この「正統と異端」という問題軸の中で理解されなくてはならない。
教会当局のベギン会の女性たちへの非難・攻撃・弾圧は、「自由心霊派」との「共謀」がその主たる理由であった。この「自由心霊派」という名称は、何かそれ自体で独立の組織としてまとまっていた一セクトを指すものというよりも、当時のある一定の傾向を持った異端運動全体を指すために教会当局によって用いられた呼称と見たほうが穏当のようである。この「自由心霊派」運動は、ベギン会の女性たちが世俗語によって表現した神秘思想から、その中に孕まれていた異端的要素を抽出し、さらにはそれを濃縮した形で表現している精神運動だと見ることができるだろう。
ベギン会の女性たち、そして後にはエックハルトが異端の嫌疑を掛けられた理由は、当局によれば、主として、完全な状態に至った人間の魂の神格化(あるいは、より端的に言えばその神化)を認め、その限りでの神と人間の同一性を強調しすぎたという点にある。この点において、ベギン会の女性たちばかりでなく、もともと教会教義の「正統」を代表しているはずのエックハルト(パリ大学神学教授としてドミニコ会によって二回派遣されたのは、エックハルト以前にはトマス・アクィナスの例があるだけ)の教説は、危険なまでに「自由心霊派」によって代表される「異端」と接近している。
歴史的現象としての「自由心霊派」の位置づけに関しては、現在もなお、専門家の間で大きく意見が分かれている。一方には、実際に各地で活動していた異端的信仰者集団たちの間にいわば友愛の精神によって形成されていたネットワークとしての実在を「自由心霊派」に認める立場があり、他方には、「自由心霊派」は、異端運動取締のために異端審問官たちによって捏造されたまったく架空の運動組織と見なす立場がある。いずれにせよ、当時のヨーロッパ各地に、異端的な思想を奉じ、教会の権威を無視した生活を送っていた信仰者たちがいたことは事実として認められている。その出自は、実に様々で、都市在住の貴族階級から、裕福な商人たち、現役の聖職者、棄教者、さらには粗野で文盲の田舎者まで、「自由心霊派」として一括りにされいた。
「自由心霊派」の中心思想である「人間の魂の神化」は、一見したかぎりでは、エックハルトに代表されるライン河流域神秘思想の教説と重なり合うように見える。しかし、次の一点において、両者は決定的に異なる。エックハルトがその神化は恩寵によると終始一貫主張しているのに対して、「自由心霊派」は、恩寵なしの神化を主張している。その根拠は、反キリスト教的な汎神論である。神は存在するすべてのものであり、したがって、人間は、その本性によって神になることができる、と彼らは考える。ところが、エックハルトは、神がその本性によってそれであるところのものに、人間の魂は恩寵によってなることができる、とドイツ語説教の中で繰り返しているのである。
エックハルトが異端の嫌疑を掛けられるに至ったのには、当時の宗教政治的状況も大きく作用しているので、異端宣告の理由を単に教説内容そのものだけから説明することはできない。ただ、その教説内容が、「自由心霊派」のそれと、少なくともその表面において、危険なまでに類似していたことが、「自由心霊派」の信徒たちに、エックハルトという宗教的権威の名を借りての自己正当化の口実を与えてしまい、それが同派の拡大に勢いを与えたことは間違いないであろう。
私たちは、今日の記事まで十八回に渡って行ってきた、エックハルトの「離脱・放下」論攻究のための予備的考察を、ここで一先ず終えることにする。明日以降、私たちは、エックハルトのドイツ語説教と論述との中に、正統と異端の危険なまでの接近によって生み出された実存的緊張という磁場における神秘思想の生成圏に立ち入っていく。